ドレスデン
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ドレスデンを代表する建築物となっているツヴィンガー宮殿(Zwinger)は、アウグスト強王が、ダニエル・ペッペルマンに命じ、1711年から1728年に、城から近い場所に自らの居城として後期バロック様式によって建立させたものである。同時に、エルベ川の10キロほど上流にあるピルニッツ宮殿も、大幅に増築されている。一方、市の中心部では、1726年聖母教会(フラウエン教会)の建築が開始されている。こうして形成されたドレスデンの町並みは〈百塔の町〉とも呼ばれ[4]、18世紀中期の姿がベルナルド・ベッロットによる絵画として残されている。1806年に神聖ローマ帝国が解体し、ザクセン王国が成立した後は、ドレスデンはその首都となった。

第二次世界大戦では徹底した爆撃ドレスデン爆撃)にあい市内中心部はほぼ灰燼に帰した(ただし、現在ドレスデン美術館アルテ・マイスター絵画館に展示されている美術品の多くは、事前に近くの洞窟に隠されていて、おおむね無事だった[5])。ソ連占領地域にあったため、戦後はドイツ民主共和国(東ドイツ)領となり、ドレスデン県の県都としてライプツィヒなどと並ぶ工業都市として発展した。近年では〈エルベ川のフィレンツェ〉とも呼ばれ[4]、観光地としての開発も顕著で、東部ドイツ有数の大都市として賑わいを見せており、1990年の東西ドイツ統合後、歴史的建築物の再建計画が一層推進されつつある。廃墟のまま放置されていた王妃の宮殿(Taschenbergpalais)が再建されて高級ホテルに生まれ変わったほか、同じく瓦礫の堆積のままの状態で放置されていた聖母教会の再建には、世界中から182億円もの寄付が集まり、2005年10月に工事が完了した。瓦礫から掘り出したオリジナルの部材をコンピューターを活用して可能な限り元の位置に組み込む作業は「ヨーロッパ最大のジグソーパズル」と評された。新しい部材との組み合わせがモザイク模様を描き出しているこの建物は、新しい名所となっている。修復された聖母教会
文化クリスマスマーケット(Striezelmarkt)日本宮殿(ドイツ語版)。1715年建造。アウグスト2世の東洋陶磁器コレクションの倉庫だった。現在は民俗博物館

音楽はザクセン侯宮廷の傾向を反映して、古くからイタリアの影響を受けてきた。シャインシュッツらはルター派典礼音楽にイタリア音楽の傾向を付け加えた。ミヒャエル・プレトリウスもしばらくドレスデンで活動したこともあり、17世紀ドイツにおける音楽の中心地のひとつであった。モーツァルトもまたドレスデンで作品の初演を行っている。ドレスデン州立歌劇場、通称ゼンパー・オーパー新古典主義建築の代表作としても知られ、専属のオーケストラであるシュターツカペレ・ドレスデン(「ドレスデン国立歌劇場管弦楽団」と呼ばれることも多い)は、最古のオーケストラとして知られている。ドイツ鉄道ウィーン?ドレスデン間の夜行特別列車「ゼンパーオーパー」はこの劇場の名にちなんだものである。なお、歌劇場が二つある都市は、世界でもベルリン(三か所)以下、ウィーン、モスクワ、ミュンヘン、ロンドンなど、人口百万以上の大都市ばかりであり、中規模都市としてはドレスデンは唯一の存在である。

ザクセン侯の美術コレクションは現在ツヴィンガー宮殿の一角を占めるドレスデン美術館アルテ・マイスター絵画館(Alte Meister)などで展示されている。アルテ・マイスターのコレクションの中にはラファエロの「システィーナの聖母」が含まれる。そのほかレンブラントルーベンスルーカス・クラナッハデューラーなどヨーロッパを代表する画家たちの膨大な数の作品が公開されている。この美術館はヨーロッパでも重要なコレクションを有する施設のひとつである。旧市街には二校の芸術系大学が存在している。ドレスデンで最も古い大学であるドレスデン美術大学と、質の高い音楽家を世に出してきたドレスデン音楽大学である。

上記の様な旧市街(アルトシュタット、Altstadt)で主に見られる文化の他に、新市街(ノイシュタット、Neustadt)の文化も興味深い。

新市街は、実は旧市街よりも歴史はかなり古い。ザクセン選帝侯時代、今の新市街地区のほぼ全域を焼失させる大火災があった。そこから比較的早く復興したため、それを記念し、全く新しく生まれ変わって繁栄してほしい、という願いを込めて、選帝侯がノイシュタットと名付けられたとも言われている(原典不明)。

築 100 年を超える建物が多く、世代を超えても当時の雰囲気を比較的良く保っている、数少ない街である。空襲で完全に焼け落ちたにもかかわらず、歴史的建造物を除きアルトシュタット以上によく保守された地区と言ってもよい。

街の空気がやや古典的で、狭い路地が続く町並みには、レストランやバーが無数に存在し、週末は地元人達で賑う。また、美術・芸術家などの個展や、演奏会・音楽サロンが街のあちこちで毎週のように開かれ、地元人の関心も常に高い。文化・芸術が生活と密接に関わっている街である。

2004年、歴史的建造物の残る文化的景観が評価され、ドレスデン・エルベ渓谷世界遺産に登録された。ドレスデンを中心にしたエルベ川流域18kmが対象であった(面積1930ha)。しかし、交通量の増加に対応するためにエルベ川に車両用の橋を建設する案が検討されたことから、2006年に危機にさらされている世界遺産リストに登録され、その後、ユネスコ世界遺産委員会からの警告が発せられた。それにも関わらず、建設が推進されたため、2009年の第33回世界遺産委員会で世界遺産リストからの登録抹消が決議された。

町の中心部近くにある聖母教会の再建は、当初の2006年完成予定に対し、2004年には内部の見学が一部可能となり、2005年に前倒し完成となった。
宗教カトリック
宮廷教会ドレスデン
十字架教会

ドレスデンでは1539年に宗教改革が導入された。1571年頃から厳格なルター主義を代表する都市になった。1661年になってドレスデンにおいて再びローマ・カトリック教会ミサがおこなわれた。ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世はアウグスト2世としてポーランド王に即位するために、1697年にドレスデンの宮廷をカトリック信仰に変更させた。ローマ・カトリック教会共同体はドレスデン市において1807年に初めて福音主義教会と同等に扱われるようになった。以来、ローマ・カトリック教会はドレスデンでは少数派として存続している。

第1次世界大戦後の君主制終焉によって、キリスト教会と国家の関係は大きく変化し、1922年には最初のザクセン州教会監督が選出された[6]東独時代において福音主義教会信徒の比率は約85%(1949)から22%(1989)に減少した。ホーネッカー時代の1980年にローマ・カトリック教会の司教座がドレスデンに置かれた。カトリック宮廷教会がドレスデン=マイセン司教区の司教座聖堂に昇格したからであった。

今日、ドレスデン市民の大多数(約80%)は無宗派であり、どの宗教団体にも属していない。約2万人がローマ・カトリック教会の信徒であり、約7万5千人がドイツ福音主義教会(EKD)に加盟しているザクセン福音ルター派州教会の教会員である。ドレスデン市民におけるローマ・カトリック教会信徒の比率は約4%、ルター派教会信徒の比率は約15%である。

ルター派や改革派等のキリスト教自由教会と非キリスト教宗教団体に属する会員数はドレスデン市当局の見積もりによると約5千人である。18世紀、1764年にドレスデンに最初の改革派教会が建てられた。ルター派と同じ公的権利がドレスデンの改革派教会に与えられたのは1811年であった。このドレスデンの改革派教会はドイツ福音主義教会(EKD)に属さない自由教会で約6百人の教会員がいる[7]。ザクセン州にはライプツィヒケムニッツにも改革派教会があるが、これらの教会はドイツ福音主義教会(EKD)に属している州教会である。現在のドレスデンには約760人のユダヤ教徒が住んでいる[8]


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