1995年10月、現役高校教諭の後藤鮪郎が出演していたラジオ番組の後を受け、相談番組『ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!』のパーソナリティを担当。また、並行して若者の人気を集め、海外のアーティストを紹介する『金髪先生』(テレビ朝日)などに出演するようになる[1][3][5]。
しかし、1997年11月にバンドメンバーが薬物所持で逮捕されたことにより、所属レコード会社との契約も打ち切られ、1999年に叫ぶ詩人の会を解散。2000年3月、語学留学を名目に前述のラジオ番組を降板し[6]、単身ニューヨークに渡米。9.11発生で、ニューヨーク滞在中も番組に出演[7]し、2002年9月末まで滞在。
日米混成バンドAND SUN SUI CHIE(アンド・サン・スー・チー)を結成し、ライブハウスで歌う。帰国後は芸名を変更し、小説の執筆とライブ活動を主な生業とする。2007年4月より2008年3月までNHK総合テレビ「未来観測 つながるテレビ@ヒューマン」において、全国の頑張っている人に会いに行き、歌を届けるコーナー『哲也の陽はまた昇る』を担当。ギタリストのMITSUとともに、年間48曲をオンエア。これを機にMITSUとともに、アルルカン洋菓子店のユニットを結成し、歌うアルルカン(道化師)として朗読と歌をミクスチャーしたステージを2011年12月まで展開[1]。2013年より新たにギタリストとしてピクルス田村を迎え、アルルカン・ヴォイス・シアターのユニット名で活動を再開。2019年より、シンガーとして三咲順子を迎え、ツインヴォーカル体勢となる。トリオ名をレモンチェッロと改めた。
2015年4月からは、15年振りに相談番組である『テレフォン人生相談』(ニッポン放送)にてパーソナリティを2020年3月迄務めていた[5]。
著書も多数ある。小説『あん』がフランス、ドイツ、イタリア、英国など22言語で、『ピンザの島』がフランス、ドイツ、台湾などで翻訳刊行されている。2017年、フランスの2つの文学賞、「DOMITYS文学賞」と「Le Prix des Lecteurs du Livre du Poche(文庫本読者賞)」を得る[8]。また『線量計と奥の細道』で、2019年の日本エッセイストクラブ賞を受賞した[8]。
2019年9月18日付けで、明治学院大学国際学部教授に就任した。 「君の詩はくさい」と友人に言われたことが切っ掛けで、くさい果物であるドリアンを筆名に入れてドリアン助川の名を使うようになる。活動の拠点をニューヨークに移したことを機に、芸名を「TETSUYA」に改名した。改名の理由は、前述のラジオ番組に出演以降、助川が街を歩いていると、番組を聴いていたリスナーから声を掛けられ、「悩み相談」を希望され、嫌気が指した事で番組降板を希望していた[9]。しかし、渡米後も舞い込んで来る仕事は「人生相談の仕事」しか来なくなったため、「ドリアン助川」という芸名を捨て、「明川哲也(あきかわ てつや)」を使っていた[3]。にもかかわらず、結局はイメージを変える事が出来ず、2011年11月に元来からの芸名である「ドリアン助川」に戻した[10]。
人物
出演
テレビ
レギュラー[3]
金髪先生(1996年 - 1998年、テレビ朝日系列)
真夜中の王国(1997年、NHK-BS)
未来観測 つながるテレビ@ヒューマン(2007年 - 2008年、NHK総合) - ドキュメンタリー[11]
ドキュメンタリー[3]
NONFIX(チェコ)(1996年、フジテレビ)
アジア釣り紀行 メコンを行く(1997年、NHK-BS)
ミッション2000(2000年、NHK総合)
マルディグラ(ニューオリンズ紀行)(2002年、NHK-BS)
にっぽん釣りの旅 知床で鮭を釣る(2008年、NHK-BS)
世界で一番霧の多い街 セント・ジョーンズ(2010年、NHK-BS)
こころの時代?宗教・人生?「積極的感受」(2019年2月3日、NHK教育)