ドライジーネの登場と同時代にフランスやソ連で同様の二輪車が発明されていたという起源の主張があり、日本でも1970年頃まではフランスの「セレリフェール」という二輪車が自転車の始祖であるという説が有力であった。しかし、それらは後の研究で反証され、存在の立証ができずに自転車の正史としては認められることはなかった。特にイタリアで主張されたレオナルド・ダ・ヴィンチの自転車のスケッチは大きな物議をかもすことになった。1500年代にレオナルド・ダ・ヴィンチが自転車のスケッチをしたという原稿が見つかったのだ。しかし、これは1960年代にダ・ビンチの手書き原稿を修復したイタリア人のある修道士が、もともと描かれていた二つの円を自転車の車輪に見立て、ペダルやチェーンなどを加筆することで、自転車に仕立てたものだとされている。このスケッチが描かれた紙は、16世紀に保存上の必要から二つ折りに糊付けされていたが、修道士が加筆する直前、歴史学者のペドレッチ氏が強い照明を使い透かした当初、描かれていたのは二つの円だけだった。[11]
脚注^ 浅井建爾 2015, p. 72.
^ “ ⇒日本自転車文化協会ホームページ”. www.jba-rw.org. 2020年12月24日閲覧。
^ Eschner, Kat. “This Wooden Running Machine Was Your Fixie’s Great-Great Grandpa