ドラえもん_(1979年のテレビアニメ)
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1978年末、テレビ放映化決定と共に、以降、当漫画を掲載中の小学館の学年別学習雑誌や『コロコロコミック』他で放送開始の告知プロモーションを展開。

中でも『コロコロコミック』は、1979年3月15日号で表紙に大きく「テレビ化記念おいわい特別号」と印刷し発刊。巻頭カラーページで製作過程を特集し、その後も同じ企画の連載、また毎号にテレビ放映局と放送時間を記した頁を必ず入れるなどしていた。

また、1979年にコロコロコミックデラックス「テレビ版ドラえもん」第1号、1980年7月25日に第2号を発行(共に380円)。カラーページを多用し、テレビ内容をより深くなぞったり、製作過程を紹介する書となっている。
放送枠・番組フォーマット

現在に続く30分枠での放送が開始したのは1981年10月2日からであり、帯枠放送時からの移行で制作体制も刷新されそれらの美術設定などは声優陣のリニューアルに伴う2005年の放送終了まで、金曜19時(一時期は18時50分)からの放送は2019年9月6日までそれぞれ続くこととなる。同枠は1975年4月4日の『勇者ライディーン』よりNET→テレビ朝日が制作[注 5]、旭通信社(後のアサツー ディ・ケイ、現:ADKエモーションズ)が広告代理店を務めており、1976年4月2日の『マシンハヤブサ』から今作の枠移動が行われるまで東映動画が放映権を保持していた。1976年10月から1981年9月までは「東映魔女っ子シリーズ」を含めた少女向けアニメを放送する枠として展開されていたが、今作の枠移動により東映動画は6年間保持していた当枠を手放すこととなり、放送されていた『ハロー!サンディベル』は30分繰り下がって金曜19:30へ移動となっている[注 6]。なお最初は「金曜夜7時30分で調整中」と枠移動が報じられたが[2]、諸事情により先述の通り金曜19時へ移動となっている。

1回に放送する話数は、1981年9月まで10分版の放送は1話、30分版は3話だったが、金曜夜に移動した翌月以降は2話(これに伴う1話あたりの放送時間は後述)になった。1979年から1981年までは全話新作(前後編として2日に跨いで放送することもある)、1982年1月から1984年5月までは3話になり、A、Bパートが再放送、Cパートが新作、1984年5月に再度2話になり、2005年3月まではAパートが新作でBパートが再放送(ただし、1987年後半や1993年前半は、両パートとも新作を放送していた時期があった他、1時間に拡大される特番ではB、Cパートを跨ぐ中編のみが新作だった)。

その後も原作と共に人気を急上昇させ、まだテレビ朝日の系列局が少ない中でも全都道府県で放送される大ヒット作となった。テレビ朝日や藤子漫画だけでなく、日本を代表する国民的アニメ番組としての『ドラえもん』ブランドを成長させたのは、本作の影響が非常に大きい。その一方で、テレビ朝日が視聴率不振にあえいでいた1980年代後半(『アフタヌーンショーやらせリンチ事件以降)から1990年代にかけては「テレビ朝日には『ドラえもん』と『徹子の部屋』、『ニュースステーション』(現・報道STATION)、『日曜洋画劇場』しか誇れる番組がない」と揶揄されたことも決して少なくなかった。
原作不足への対応

帯枠での放送ということもあって原作の不足は早い段階で発生しており[2]、当時の時点で単行本などに未収録だった作品もいち早く映像化していた。1980年1月1日の特番で初のアニメオリジナルの作品が放送され、放送開始以来、脚本家を置かずアニメーターが原作から直接コンテを書き起こす制作形態を採っていたが、この時期以降は脚本家が置かれての制作形態へ徐々に移行となり、30分枠移動時には完全に移行した。
他作品の流用

原作者を同じとする漫画作品を、本作のキャラクターに差し替えた形でアニメ化するなどの手法も採り、帯枠時では『ポコニャン』から数多く映像化され、1990年代後半には『チンプイ』、2000年代には『キテレツ大百科』のエピソードを原案にした作品も数作品制作された。
リメイク

放送が長期に渡ったこともあり、同一の原作を再びアニメ化するリメイク版の制作も数多く行われた。初のリメイクは単行本2巻収録、本作では1979年にアニメ化された『オオカミ一家』で、1985年に『オオカミ一家を救え!!』として放送された。30分枠移行後では、1990年頃からアニメオリジナル作品の制作割合が多くなり、末期にはほぼ全ての作品がアニメオリジナルとなった。その時期では主に特番などにおいてリメイク版の放送を行った。リメイク作品は帯放送枠時代に放送された作品が中心だが、30分時代に放送された作品をリメイクする場合もある[注 7]



映画化

放送開始から約1年後の1980年からは東宝の配給により毎年3月に映画が公開されており、リニューアルにより2005年のみ途切れるも、2006年からは再開され現在も毎年新作映画が公開されている。1980年に公開された第1作『ドラえもん のび太の恐竜』から、本作の放送期間中に劇場公開された最終作は2004年公開の『ドラえもん のび太のワンニャン時空伝』である。
特別番組

毎年春改編期と夏のお盆前後、秋改編期には『○だ一番! ドラえもん祭り』(「○」には季節が入る)などと題して1時間から2時間に拡大される特番があり[注 8]、やや長い中編のアニメ化なども行われた[注 9]。また、秋の特番では1996年までは、春に公開された映画が放送されていた[注 10]。なお、放送は必ずしも金曜日ではなくレギュラー放送を通常通り放送した翌日の土曜日など別日だった回もある。1990年代後半になると、新作映画公開の前日に「前夜祭」を放送したこともあった(時間はレギュラー放送と同じ30分。「前夜祭」は後の全面リニューアル後もしばらく行われていた)。

特に大晦日は曜日に関係なく『大晦日だよ!ドラえもん』と題して3時間の特番が放送され、中編、短編も含め過去の傑作の中から10本程度の再放送(1987年までは藤子オールスター特番のため、『ドラえもん』の他、『パーマン』、『忍者ハットリくん』などの傑作も放送[注 11] )、翌年春公開予定の映画のお知らせ、ドラえもん関連イベントの紹介などが放送された。ただし、1995年は大晦日に『ザ・ビートルズ・アンソロジー』の特別番組を編成したため、1日前倒しをして30日に放送、タイトルも『冬休みだよ!ドラえもん』に変更された。
視聴率

2005年3月25日の放送終了までの日本での歴代平均最高視聴率1983年2月11日の放送で記録された31.2%である(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。放送開始の1979年からの半年近くは13?15%程度を前後していたが、9月に入ると20%を突破するようになり[3]、1980年代は視聴率20%超えをほぼ毎週記録し、同時間帯トップに立つことも多かったが、1990年以降は少子化や習いごとをする子どもの割合の増加など時代背景の変化もあり、年間平均で1990年代後半は15%前後、2000年代前半には12%前後まで低下した。なお、木村純一によると、東南アジアでは視聴率が70%を超えることもざらにあるという[4]
声優陣の交代

2004年7月コロコロコミックで次回作の映画を2006年春に公開することが発表されたが、この時点ではまだ声優交代の一報はなかった。2004年11月22日当日付の朝日新聞にて声優陣一新の決定が初めて世間に公表され、リニューアルに伴い2005年3月18日放送の特番『ドラえもん オールキャラ夢の大集合スペシャル』をもって、同年4月15日からの第2作第2期にバトンを渡す形で放送終了を迎えた。当日、直前に放送された『スーパーJチャンネル』では関東ローカル枠のコーナーで特集が組まれ、最後のエピソード『ドラえもんに休日を?!』の収録に密着した(収録日は、同年3月4日)。レギュラー5人に加え、準レギュラーから田中亮一(先生役)、渡部猛(神成役)、佐久間レイ(ミニドラ役)、よこざわけい子(ドラミ役)、松原雅子(しずかのママ役)、横尾まり(スネ夫のママ役)、青木和代(ジャイアンのママ・ジャイ子役)、千々松幸子(玉子役)、中庸助(のび助役)計14人が視聴者にメッセージを述べた。


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