これに対し、元アシスタントスタッフのえびはら武司の『まいっちんぐマンガ道』によれば、「ある猫を飼う男が、自分の悪い未来を変えるために冒険する」というロバート・A・ハインラインの小説『夏への扉』がドラえもんの元になったという[10]。えびはらによると、藤本は「そんなこと書いても読者は喜ばない」として、上記『ドラえもん誕生』で描かれたようなエピソードを自ら創作したのだとしている[11][12]。
安孫子は下記のように証言している。
藤本はドラえもんのキャラクターを作る際に、ネコのデッサンを漫画化したものを多数描いていた[13]。
(机の引き出しだけの予告を見て)「お前、何か考えているのか」と藤本に聞いたら「ここまでしか考えてないんだよ」と言うので「どうするんだ」と聞いたら「1か月あるから、それまでにひねり出すよ」と答えた[14]。
藤本はアイデアが出るまでトコトン考えるタイプ。机に向かって腕組みして、じっと辛抱して考える。見ているほうがしんどかった[14]。
漫画評論家の米澤嘉博は、ドラえもんの発想の原型のひとつとして、何でも取り出す魔法のカバンを持ったネコのキャラクターが主人公であるアメリカの漫画『フィリックス・ザ・キャット』を上げている[15]。
連載開始藤本弘による漫画『ドラえもん』の新作が掲載された雑誌が発売された月。青は短編(薄青は同月の低い学年と同内容)。赤は大長編。詳細は「連載誌」の項を参照。
1969年より、小学館の学習雑誌(『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』『小学二年生』『小学三年生』『小学四年生』)にて連載開始した。いずれも1970年1月号で、当時の作者名義は「藤子不二雄」(藤子不二雄の2人のうちの1人、藤本弘による単独執筆作[16][17])。1話ごとに完結する短編として執筆。タイトルロゴは『オバケのQ太郎』のロゴも手掛けた赤松育延によるもので、ドラえもんの手足をイメージしている[18]。 計6誌に連載されていたにもかかわらず、連載当初はあまり注目されていなかったという[19]。1973年に最初のテレビアニメ化が日本テレビ放送網で行われたが、制作会社日本テレビ動画の解散により半年で終了。『ドラえもん』の人気も一段落したとみなされ、漫画連載の終了も模索されるようになる。 単行本は1974年8月から刊行開始された。第1巻はレーベル『てんとう虫コミックス』の第1号作品である。 単行本は当初、全6巻だけでの予定で刊行開始されたが小学館にとっても予想外のヒットとなる。この反響を受け、1977年には各学年誌に掲載されたドラえもんがまとめて読める雑誌『コロコロコミック』を創刊。人気・知名度もさらに上昇し、単行本は1978年の時点で1500万部を売り上げた[20]。そして1979年に再びテレビアニメ化、その翌年には映画もヒットを記録し、社会現象となった。1979年発行の単行本第18巻は、初版印刷部数が100万部を記録した[21]。2019年11月時点で関連本を含めた国内累計発行部数は約2億5000万部を[22]、2020年時点で全世界累計発行部数は3億部をそれぞれ記録している[23]。1974年8月発行の単行本第1巻は5.4ヶ月のペースで毎年重版が行われており、2019年11月時点で246刷に及ぶなど[24]、小学館を代表する作品となっている。 本作が爆発的にヒットしたことで、本作の出版物のみならずアニメーションなどのメディア、おもちゃなどのグッズは巨大産業と化した。1980年代の前半から藤本の執筆活動は本作の短編と大長編作品が中心となり、それまで定期的に発表していたSF短編の仕事を引き受けることができなかったり、『エスパー魔美』の新作執筆が不可能になったりする等の弊害も生じた。 1979年から続くアニメ放送は人気を維持し続け長寿番組となっている。放送しているテレビ朝日は、同社(およびANN系列局)の実質的なマスコットキャラクターとして扱っており、さまざまな番組・広報誌などでドラえもんの意匠を使用している。災害発生時には「ドラえもん募金」の名前で募金活動が行われている。 高い知名度から、教育分野にも広く浸透している。小学校の教科書に『ドラえもん』のキャラクターが使用されているほか、大学入試の問題にも登場した[25]。
1度目のアニメ化
単行本の発売と2度目のアニメ化による人気爆発