ドミートリー・メドヴェージェフ
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就任演説では市民と経済の自由を擁護することを最重要課題として掲げた[8]。同日にかねてから言及していた通りウラジーミル・プーチンを首相に指名し、翌8日にロシア連邦議会下院でも承認された。このためプーチンとの「タンデム体制」による政権となった。

大統領選挙で公約に掲げていたように、メドヴェージェフは汚職対策に積極的に取り組んだ。大統領就任後の同年5月17日にメドヴェージェフは汚職対策を行うための大統領令に署名し、それに伴い「反汚職評議会」が設置された。同年7月には具体的な汚職対策を含んでいる「反汚職国家計画」に署名した[9]

同年8月7日にグルジア南オセチアに侵攻した時はヴォルガの川下り船中で夏期休暇中であり、プーチンも北京オリンピックの式典に出席していたため、完全に間隙を突かれる形となった。翌8月8日にロシア連邦軍がグルジアとの戦闘を開始。メドヴェージェフはこの進軍を南オセチア内に居住するロシア人の保護のためであると説明した。その後メドヴェージェフは8月12日に戦闘停止を表明し、ヨーロッパ連合議長国であるフランスのサルコジ大統領の調停もあり、8月16日に和平合意文書に署名した。そして8月25日にロシア連邦議会上院が全会一致で南オセチアとアブハジアの独立承認をメドヴェージェフに求める決議を行うと、メドヴェージェフはこれを受けて翌8月26日に南オセチアとアブハジアの独立を承認するという大統領令に署名した。

その後もロシアの軍事行動を厳しく批判するアメリカに対しては不信感を表明した。8月28日に南オセチア紛争について開かれた上海協力機構の首脳会議の冒頭では、「自国の利益のためにグルジアを唆す国がある」として暗にアメリカを非難した。「ロシアをG8から追放すべき」という主張に対しては、9月2日イタリアのテレビ局とのインタビューで「G8はロシア抜きでは成り立たない。我々はG8からの除名を恐れない」と発言した。またこうした動きが出ているのは「2008年アメリカ合衆国大統領選挙共和党の支持率を上げるためのジョージ・W・ブッシュ政権による陰謀である」と主張した。詳細は「南オセチア紛争 (2008年)」を参照

同年11月5日に大統領就任後初となる年次報告演説を行った。その中でメドヴェージェフは大統領の任期を4年から6年・国家院議員の任期を5年に延長・地方議会の議員から連邦院議員を選出することなどの統治機構改革を提案した。またアメリカが東ヨーロッパにミサイル防衛システムを配備する計画をしていることに対抗し、ヨーロッパ内にあるロシアの飛び地カリーニングラード州地対地ミサイルイスカンデル」を配備することを表明した(ただし後日、アメリカ側がミサイル防衛計画を白紙撤回するならば、ミサイル配備を取りやめると表明した)。この中の統治機構改革案については、同年11月から12月にかけて上下両院及び全地方議会で憲法改正(英語版)が承認された後[注釈 3]、同年12月30日にメドヴェージェフが署名し、翌31日に発効された。
首相

2012年5月7日に大統領の任期満了を迎えてプーチンが後任の大統領に就任したことに伴い、プーチンと入れ替わる形で首相に就任した。2018年5月に首相に再任された[10]

2020年1月15日にプーチンは年次教書演説で首相・閣僚の承認など大統領に属する権限の一部を連邦議会に移す方針を表明した。これを受けてメドヴェージェフは必要な憲法改正を大統領が実行するために内閣総辞職が必要であるとして総辞職を表明し、プーチンは後継の内閣が発足するまで首相職に留まるよう要請した。また、プーチンは安全保障会議に新設する副議長にメドヴェージェフを充てる意向を表明した[11][12]。表向きは年次教書演説を受けての辞任表明だが、実際にはプーチンによる更迭であったとの分析もある[13]。1月16日に後任の首相が国家院で承認されてメドヴェージェフは退任した。
政治姿勢
内政

メドヴェージェフは実用主義者であり、有能な行政手腕の持ち主である。その経歴からシロヴィキには含まれないが、シロヴィキの路線に同調し、プーチンに対して常に忠実な支持を与えてきた。その一方で、ロシア国内外で比較的自由主義的な政治観を持った政治家と見なされており、ウラジスラフ・スルコフ大統領府副長官などが提唱する「主権民主主義」にはリベラル派として「批判を許さない民主主義は無い」と異議を唱えたとも伝えられる。また大統領就任後も、統一ロシアの議員が起草したメディア規制法案の廃案を求めるなどリベラルな一面を見せている。2008年12月12日のロシア連邦憲法採択15周年記念式典では、メドヴェージェフが演説している最中に憲法改正に異を唱える野次が聴衆から投げ付けられ、その人物を強制退場させようと駆け寄った警備員を「放っておけ。いろいろな意見があって構わない。この憲法はその為に作られたのだから」と制止したメドヴェージェフに聴衆から拍手が起こり、この模様はロシアのテレビニュースで放映された[14]

しかし2008年ロシア連邦大統領選挙では、多くの自由主義的又は政権に批判的な政党・候補者が立候補を阻止されたことに対しては何ら批判的な見解を述べておらず、国内外にリベラル派としての知見が真実なのか疑念を持たせている。また、メドヴェージェフのこれまでの経歴が補佐役としての域を出ていないことから、大統領退任後も首相に就任し、政治的影響力を維持するプーチンとの二頭政治(双頭政治)の推移とともに指導力を発揮できるかが今後の焦点といわれた。

2009年に入って独自色の強い人事刷新に乗り出したり、プーチン内閣金融危機への対応を「遅い」と率直に批判するなどした。これらのことにより、「プーチンとの関係に隙間風が吹いている」・「双頭体制に変化の兆しが現れている」といった観測も出ている[15]


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