政体は共和制である。議会(ドミニカ国議会)は一院制。定数は30ないし32で、このうち21議席が直接選挙によって選出される。任期は5年である[8]。
1978年 イギリスから独立。独立以前からドミニカ労働党が政権を維持してきた。
1980年 総選挙で野党のドミニカ自由党の政権が成立。首相にユージェニア・チャールズが就任し、カリブ海で初めての女性宰相となる。
1981年 レッドドッグ作戦など、元首相などによるクーデター未遂事件が発覚し、政情不安が続く。
1983年 アメリカのグレナダ侵攻を積極的に支援。
1985年 総選挙で自由党が圧勝。
2008年 米州ボリバル代替機構 (ALBA) に加盟。
政党
2024年現在の与党はドミニカ労働党 (Dominica Labour Party, DLP) [8]。野党に統一労働者党 (United Workers Party, UWP) やドミニカ自由党 (Dominica Freedom Party, DFP) があるが、「選挙制度改革が進んでいない」などとして2022年の総選挙をボイコットしたため、議会に議席は有していない。 先住民のカリブ族は島の北東の海岸に3,700エーカーのテリトリーを持ち、1903年以来、ドミニカ国政府とは別に自治政府が設けられている。カリブ評議会があり、首長と評議会代表として大臣がいる。首長は5年任期であり、また議会の1代表も選挙で決める。1930年のカリブ戦争とも呼ばれた、ドミニカ国政府の警察による強制的な密輸捜査が切っ掛けで起きた、警察とカリブ族との衝突事件はカリブ族の主権の危機に陥った。当時の首長トーマス・ジョリー・ションは、このカリブ族の反乱事件の罪の容疑で警察に捕まり、投獄射殺されるなど、首長制度の危機に陥ったこともあった。2009年7月9日の選挙では、前職の首長チャールズ・ウィリアムズに勝利したガーネット・ジョセフ
先住民族
外交詳細は「ドミニカ国の国際関係(英語版)」および「日本とドミニカ国の関係」を参照
国家安全保障詳細は「ドミニカ国の軍事」を参照
ドミニカ国に軍隊は存在せず、ドミニカ国警察隊あるいは警察軍 (Commonwealth of Dominica Police Force) によって治安は維持されている。
1996年3月に、小アンティル諸島の7ヵ国で地域安全保障システムを設置した。
地方行政区分ドミニカ国の行政区画詳細は「ドミニカ国の行政区画」および「ドミニカ国の都市の一覧」を参照
ドミニカ国は10の行政区分に分かれている。
セント・アンドリュー教区 (Saint Andrew)
セント・デイヴィッド教区 (Saint David)
セント・ジョージ教区 (Saint George) - 首都ロゾーがある
セント・ジョン教区 (Saint John)
セント・ジョゼフ教区 (Saint Joseph)
セント・ルーク教区 (Saint Luke)
セント・マーク教区 (Saint Mark)
セント・パトリック教区 (Saint Patrick)
セント・ポール教区 (Saint Paul)
セント・ピーター教区 (Saint Peter)
先住民族の居留地カリナゴ・テリトリーは島東部、セント・デイヴィッド教区北部に位置する。
地理ドミニカ国の地理詳細は「ドミニカ国の地理(英語版)」を参照モゥーン・トワ・ピトン国立公園
ドミニカ島はカリブ海は小アンティル諸島にあり、北はグアドループ海峡を経てグアドループ島、南はマルティニーク海峡を経てマルティニーク島と、2つ島の間に位置している。火山性の島で小アンティル諸島の中で最も山が多く、「Nature Island (自然の島)」として知られるほど植物が豊かな島である。最高峰は島の北部にあるディアブロティン山で高さ1,447mである。