ドバイ
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その流れのうえで1981年1985年)に開設に至った「ジュベル・アリ・フリーゾーン」 (JAFZ)という名の経済特区と大型港湾、およびナショナル・フラッグ・キャリアとしてのエミレーツ航空の就航開始は、国外資本や外国企業の進出とあわせて「」と「物」の集積地としての発展を急速に促していった[2][7][8][9][10][11]
繁栄世界で最も高い建造物であるブルジュ・ハリーファ

21世紀に入る頃には、従来からの近代化の波を経て、中東における貿易・商業の最大の中心地と呼ばれるまでのメトロポリスに変貌していた。

1970年代からわずか約20年のうちに起こった変化は、都市外観のそれのみならず、経済の石油依存率は半分以下に減じ、GDPの伸びは30倍に達するなど、「中世から近代への急変」との表現をもって語られる激変そのものである[2][7][9][12]

1995年1月には、日本がドバイに総領事館を設置している[13]

2003年以降の発展は特に凄まじく、2004年の後半から続く原油高がその発展を更に後押しした。2005年度の経済成長率は16%と高い成長率を見せており、2007年の実質GDPは1980億ディルハム(約6兆円)にまで達している。人口も240万人を超えたドバイは摩天楼の連なる幻惑的な都市国家として中東でも随一の繁栄を誇っている。
現代ドバイスカイライン(2015年)ドバイマリーナ(2018年)

2008年後半に起きたアメリカサブプライムローン問題に端を発した世界経済の低迷(リーマン・ショック)により、これまで急激な勢いで伸び続けてきたドバイにも影響があった。

外国企業からの投資引き上げや地元企業の資金繰り悪化と、それに伴う多数の建築工事や計画の中断が報じられた。またその結果起きた外国人労働者の失業や経済低迷報道を受けた観光客の減少などの影響をうけたものの、2010年度の海外からの観光客も前年比9.2%増の8,294,132人を記録するなど中国をはじめ新興国からの観光客の増加を見ている[7][10][14][15][16][17][18]

現代

アル・バスタキヤ、(2013年)

Downtown ドバイ(2012年)

ブルジュ・ハリファからのドバイの日没(2014年)

ドバイ・モール(2008年)

ドバイ・ショック

さらに2009年11月には、ドバイ政府が欧米系の金融機関に対して、政府系不動産開発会社のナキール社とその持株会社ドバイ・ワールド社の債務約590億ドルについて支払い猶予を求めると発表したため、ドバイ・ワールド社並びにドバイ政府自体の債務不履行と併せ、欧米系銀行の債権焦げ付きが懸念され、ユーロが売られるなど「ドバイ・ショック」と呼ばれる事態となった[19]ドバイ金融市場の株価も大幅に下落しており、2010年1月時点で、時価総額は380.9億ドル(約3.5兆円)にまで落ち込んだ[20]東京証券取引所ロンドン証券取引所の1%程度の時価総額規模である[21]。その様な状況下にあるものの、「中東の金融センター」としての地位はゆるぎなく、2020年に中東初の万国博覧会ドバイ国際博覧会)を開催することが決まった。
ドバイ万博ドバイ国際空港の万博ロゴ

ドバイ万博は新型コロナウイルス感染症パンデミックの影響により1年延期され、2021年10月1日から2022年3月31日まで開催された。テーマは「Connecting Minds, Creation the Future(心をつなぎ、未来を創る)」で、190以上の国と地域がパビリオンを出展し、コロナ禍においても累計2200万人以上の来場者を記録した[22][23][24]

アメリカのシンクタンク2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界28位の都市と評価されており、中東の都市では首位であった[25]

2023年、ドバイ首長のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥームは、ドバイの「世界の経済都市トップ3」「世界の金融センターのトップ4」入りを目指した野心的な計画を発表した。これには海外からの直接投資を倍増させ、ユニコーン企業の育成や世界の有力大学を誘致することなどが盛り込まれている。また、同年には1年間の試験的措置として、30%の酒税を一時的に廃止する試みが行われた。これらの外国人に寛容な計画は、近年隣国のサウジアラビアムハンマド・ビン・サルマーン皇太子が急速に進める外国企業の誘致策に対抗する狙いもあるとみられている[26]
地理ドバイ、都市の成長(2000年11月?2011年4月)

中東地域のほぼ中央、アラビア半島ペルシア湾に面した平坦な砂漠地帯にあり、面積はアラブ首長国連邦の構成7首長国中第2位にあたる約3,885km2。北でシャールジャ首長国に、南でアブダビ首長国に、東で国境を隔ててオマーン国に接する[27][28]

街は東西に流れる運河を軸として大きく2つに分かれる。「ハウル・ドバイ」(ドバイ・クリーク、?awr Dubayy)という川を軸として、北側を「ディラ」(Deira) といい、南側を『バール・ドバイ』(Bur Dubai) という[4][29]。ドバイはこのクリークを港として使用することで成立した都市であり、この2地区はドバイ成立時からの市街地として旧市街を形成している。

ドバイの北はすぐにシャールジャ首長国との境界線となるが、南のアブダビ首長国との境界線は市街からかなり南に位置する。このため、ドバイでの大型開発はこの地域で行われることが多い。バール・ドバイの南にはUAEを貫く幹線道路であるシェイク・ザーイド・ロードが走っており、道の両側には2018年時点で世界一の高層ビルであるブルジュ・ハリーファをはじめとする高層ビルが林立している。市街の南西にはリゾートエリアであるジュメイラ・ビーチ地区が開発され、高級ホテルブルジュ・アル・アラブや、「パーム・アイランド」や「ザ・ワールド」「ジュメイラ・アイランズ」といった人工島群が建設されている。


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