ドナルド・トゥスク
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私は12月1日(の正式就任)に間に合うよう自分の英語力に磨きをかけます!」(Don't worry, I will POLISH my English and be 100 percent ready on December 1!)という洒落で答えた[12](Polish「ポーランドの?/ポーランド語」とpolish「磨きをかける」を掛けたもの)。しかし、トゥスク自身は流暢に英語を話すとされる[13]

9月9日にはコモロフスキ大統領に辞表を提出し[14]、12月1日に欧州理事会議長に就任した[15]。2017年3月9日に行われた議長選挙では、トゥスクの出身国ポーランドの与党・法と正義の総裁ヤロスワフ・カチンスキがトゥスクのかつての政敵だったこともあり、反対票を投じて再選阻止に動いたが他国に同調の動きはなく、27対1で再選された[16]

EU大統領在任中にはイギリスの欧州連合離脱(ブレグジット)に対応したが、離脱協定がイギリス議会で承認を得られず延長を繰り返すなど悩まされることとなった。2019年2月6日には記者会見で、ブレグジットを安全に実施する方法を何も計画せずに推進した人たちには地獄に特等席が用意されていると発言し物議を醸した[17]。しかし結局は当初の離脱期限の3月29日に離脱協定の可決が間に合う見通しは立たず、合意なき離脱の危険性が高まった。イギリスのテリーザ・メイ首相からの離脱期限延長の申し出に対しEUは延長を承認し、3月22日にトゥスクは記者会見で先述の自身の発言を踏まえ、地獄はまだガラガラだと発言した[18]。イギリス議会が離脱協定を可決できなければ4月12日が離脱期限と決められたが結局は10月31日まで延長され、トゥスクは再延長が決まった直後の4月11日未明の記者会見で今度は時間を無駄にしないでほしいと苦言を呈した[19]。同年11月13日には欧州大学院大学での講演でイギリスはEU離脱後に国力が強化されるどころか二流国に転落するだろうとの見方を示すなど、ブレグジットには終始否定的であり、イギリスに翻意するよう促し続けた[20]。結局はトゥスクの任期中にイギリス議会が離脱協定を可決することはなく、退任の約2カ月後にイギリスは離脱を果たした[21]。欧州は団結してこそ中国に立ち向かえるというのがトゥスクの持論であった[20]
ポーランド国政への復帰

EU大統領を務めた後は半ば引退状態とも言われたが、EU大統領在任中に祖国ポーランドの民主主義が政敵によって後退させられたいう危機感を抱き、ポーランド国政への復帰を決断する[1]。2023年10月15日の総選挙では自由を取り戻すと訴えた[1]。選挙の結果、与党連合・法と正義(PiS)が第1勢力を維持するも事前の予測よりも勢いがなく194議席にとどまって過半数を割りこみ、トゥスク率いる市民プラットフォームを中心とする市民連合が157議席を獲得し、これに第三の道(英語版)の65議席、左翼(英語版)の26議席で過半数に到達した[22]。PiSが議会内で過半数を確保できない以上は同党のマテウシュ・モラヴィエツキ首相は政権の座から降りるほかなかったが、11月6日にアンジェイ・ドゥダ大統領がモラヴィエツキに組閣を要請。トゥスクは政権樹立を無駄に遅らせる行為であると非難し、自身の首相就任に強い意欲を表明した[23]。ところが11月27日に議会で過半数の支持を確保しないままドゥダ大統領がモラヴィエツキを首相に再任し新閣僚も就任宣誓を行い、新政権が発足したため野党からは茶番であるとして批判を受ける事態となった。もっとも、このような事態のため新政権に課せられた、2週間以内にセイムで信任を得られる可能性は当初からなく[24]、内閣信任決議案は12月11日に賛成190、反対266票で否決され、モラヴィエツキは首相を失職[25]。直後にトゥスクの新首相就任が賛成248、反対201票で承認された[26][27]。12月13日に宣誓を行い就任[28]。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

ミュンヘン安全保障会議の討論会で駐米ドイツ大使のヴォルフガング・イシンガー、フランス大統領ニコラ・サルコジドイツ首相アンゲラ・メルケルに対して発言するトゥスク(右端)。2009年2月7日撮影。

ドイツのメルケル首相と(2012年10月17日)

左からブラジルのマウロ・ヴィエイラ外相、同国のジルマ・ルセフ大統領、トゥスク、ジャン=クロード・ユンケル欧州委員会委員長(2015年11月30日)


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