ドナテルロ
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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂ドゥオーモ付属美術館(フィレンツェ)

ドナテッロがフィレンツェに戻ったのは、コジモ・デ・メディチが追放先からフィレンツェへと帰還したのと同時期だった。ドナテッロは1434年5月に、ミケロッツォ・ディ・バルトロメオとの最後の協同作業となる、プラート大聖堂(ドゥオーモ・ディ・プラート (en:Prato cathedral))の説教壇制作の契約を交わしている。「キリストの殉教」を主題とし、異教徒や歌い踊るプットーなどのレリーフで装飾されているこの説教壇は、ドナテッロが1433年から1438年にかけて断続的に制作したサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の『カントリーア(唱歌壇)』の先駆ともいえるものとなっており、その様式は古代の石棺(サルコファガス)やビザンティン様式の象牙製飾り箱などからの影響が見られる。1435年にはサンタ・クローチェ聖堂の『受胎告知』の彫刻、1437年から1443年にはサン・ロレンツォ教会 (en:Basilica di San Lorenzo di Firenze) 旧聖具室の扉に聖人たちの肖像装飾レリーフを制作している。1438年から、ヴェネツィアサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂の依頼で、木彫の『洗礼者ヨハネ像』を手がけた。さらに1440年ごろには、現在バルジェロ美術館が所蔵する『カメオの少年』を制作しているが、この作品は古代以降で最初期の胸像である。
パドヴァの作品『ガッタメラータ騎馬像』(1453年)
サンタントーニオ・ダ・パードヴァ聖堂前サント広場(パドヴァ

1443年にドナテッロは、有名な傭兵でヴェネツィア軍総司令官も勤めて同年1月に死去したガッタメラータの記念像を制作するために、ガッタメラータの遺産相続人からパトヴァに招かれた。サイズ 340 x 390 cm(台座のサイズは 780 x 410 cm[7])の『ガッタメラータ騎馬像』は、ルネサンス期に制作された最初の騎馬彫刻像であるとともに、壮大な古代の騎馬彫刻像を復活させた最初の作品である[8][注釈 1]。そしてこの作品は、その後数世紀にわたって、功のあった軍人を顕彰するために制作される騎馬像の原点、先例といえる存在となっていった[7]

『ガッタメラータ騎馬像』は、当時のほかのブロンズ像と同様にロストワックスの技法で制作されており、台座上のガッタメラータも馬も等身大で表現されている。古代ローマの彫刻『マルクス・アウレリウス騎馬像』 (en:Equestrian Statue of Marcus Aurelius) のように、対象物の偉大さ、力強さを強調する目的で実際のサイズよりも大きく表現する手法ではなく、等身大のこの彫刻でドナテッロは、感情、ポーズ、象徴表現などによって、ガッタメラータの偉大さを描写しようとした。ドナテッロはガッタメラータを潤色、脚色することなく、ありのままの力強さを表現しようとしており、実際に等身大のこの騎馬像は十分にガッタメラータの偉大さが伝わる作品となっている。また、騎馬像の台座上部には「扉」が表現された2点のレリーフがある。この「扉」は地下への門を意味する象徴であり、実際にはガッタメラータが葬られてはいないにもかかわらず、この騎馬像にあたかも墓標であるかのような印象を与えている[7]。片方のレリーフには2体のプットー (en:putto) が支えるガッタメラータの紋章が、もう片方のレリーフには甲冑を誇示する天使が刻まれている[7]

サンタントーニオ・ダ・パードヴァ聖堂には、ドナテッロの彫刻作品が多く残されており、1444年から1447年に制作されたブロンズの『キリスト磔刑像』、聖歌隊席の彫刻、主祭壇を飾る『聖母子像』と6人の聖人などのブロンズ製レリーフなどが所蔵されている。ただし、この6人の聖人のレリーフは、1895年にイタリア人建築家カミロ・ボイト (en:Camillo Boito) の聖堂の修改築によって見えなくなってしまった。信徒席正面に位置する『聖母子像』には、古代神話で知識を象徴する二頭のスフィンクスを両横に配した玉座が表現されている。さらに1446年から1450年にかけてドナテッロが制作した、聖アントニウス(サンタントーニオ)の生涯を描いた非常に重要な4点のレリーフが聖堂に収められている。
フィレンツェでの最晩年『ユディトとホロフェルネス』(1453年 - 1457年)
ヴェッキオ宮殿フィレンツェ

ドナテッロは1453年にパドヴァからフィレンツェへと帰郷した。1455年から1460年の作品『ユディトとホロフェルネス』は、当初シエナ大聖堂からの依頼で制作が開始されたものだったが、後にメディチ家によって買い上げられ、一族のコレクションに加えられた彫刻である。ドナテッロは1461年までシエーナに滞在し、シエナ大聖堂所蔵の『洗礼者ヨハネ像』などを制作している。

フィレンツェでの最後の彫刻制作依頼となったのはサン・ロレンツォ教会のブロンズ製説教壇で、ドナテッロは弟子のバルトロメオ・ベッラーノ (en:Bartolomeo Bellano)、ベルトルド・ディ・ジョヴァンニ (en:Bertoldo di Giovanni) とともにこの作業にあたった。このときドナテッロは全体的なデザインを手がけるとともに、独自で『聖ラウレンティウスの殉教』、『十字架降架』を、ベラーノと共作で『ピラトの前のキリスト』、『カイアファの前のキリスト』を制作している。

ドナテッロは1466年にフィレンツェで死去し、サン・ロレンツォ教会のコジモ・デ・メディチの墓の隣に埋葬された。
ギャラリー

『ダヴィデ像』(1408年 - 1409年)
バルジェロ美術館

『聖ゲオルギウス像』(1415年 - 1417年)
バルジェロ美術館[9]

『髭のある預言者』(1415年 - 1418年)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂ドゥオーモ付属美術館

『髭のない預言者』(1415年 - 1418年)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂ドゥオーモ付属美術館

『イサクの犠牲』(1421年)
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂ドゥオーモ付属美術館

『トゥールーズの聖ルイ像』(1422年 - 1425年)


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