ドキュメンタリー
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社会問題を取り上げるという点においてはドキュメンタリーも報道も同じだが、森達也は、ドキュメンタリーは制作者の主観や世界観を表出することが最優先順位にあるのに対して報道は可能な限り客観性や中立性を常に意識に置かなければならないという違いがあると述べている[5]

また森は、中国人が作ったドキュメンタリー映画文化庁が助成したことを自民党一部議員が疑問視した結果として複数の映画館で上映が中止になった事案の発生に際し、ドキュメンタリーの本質について以下のように述べた[6]。自民党の有村治子議員が国会で、被写体となった刀匠が自分の映っている場面を削除してほしいと主張していると発言して、大きな波紋を広げています。ドキュメンタリーを作る立場から言えば、これはとても重要な問題を提起しています。事前に被写体に見せて了解をとる。これが前提なら映画をつぶすのなんて簡単ですね。ドキュメンタリーというジャンルは確実に滅びます。僕も、原一男マイケル・ムーアもみんな転職せねばならなくなる。自作の映画「A」を引き合いに出します。中盤に警察官による不当逮捕のシーンがあります。あの警官が「俺の映っているシーンは使うな」と言ってきたら、ぼくはどうすればいいのでしょうか。あるいは映り込んでいる多くのメディア関係者、彼らの了解も得ていません。もちろん編集済みの映像も見せていない。ならば上映できないのでしょうか?ドキュメンタリーは現実を切り取って、その断片を素材に再構成した自己表現です。人権や規範を最優先にしていては何も撮れなくなる。稲田議員は試写会の前にこう言いました。「客観的でなければドキュメンタリーではない」と。僕はこれでキレました。冗談じゃない。ドキュメンタリーは主観です。作る側の思いです。メディアについてもっと鋭敏な感覚を持たなければならない政治家が、この程度のリテラシーしか持て得ないのならあまりに情けない。 ? 森達也、創出版『映画靖国上映中止をめぐる大議論』「2008年4月14日MIC/JCJ主催の集会での講演」p58-60
サブジャンル

ドキュメンタリーにはいくつかの小ジャンルが存在する[7]。(リアリティ番組#「構成のない」ドキュメンタリーも参照のこと)

ダイレクトシネマ(英語版)(direct cinema)- ナレーションインタビューBGMを排除したドキュメンタリー。日本では想田和弘が観察映画と称して制作している。

セルフドキュメンタリー(Self documentary/Participatory documentary)- 作者が自らや家族などの周辺人物を撮影対象としたドキュメンタリー。参加型ドキュメンタリーとも。

フェイクドキュメンタリー (Mockumentary)- モキュメンタリ―とも。ドキュメンタリー調に制作されたフィクション。

リアリティーショー(Reality television) - 現実に起こっている劇的な状況に一般人出演者たち(無名の芸能人なども含む)が直面するさまを映し出したドキュメンタリー。主にテレビ番組で放送される。恋愛リアリティーショーや調査・捜索番組などが主な例である。

インタビュードキュメンタリー(Interview documentary) - インタビューを基調として構成されたドキュメンタリー。TBSの「日の丸」(1967年2月9日)など。

エッセイスティックドキュメンタリー(Essayistic documentary) - 作者によるエッセイのようなナレーションによって進行するドキュメンタリー。エッセイ映画

リフレクシブドキュメンタリー(Reflexive documentary) - ドキュメンタリーの信憑性を懐疑し、作品の構成に注意を向けさせるドキュメンタリー。

ハイブリッドドキュメンタリー(Hybrid documentary) - 何を理解するべきか明確ではない、作者と視聴者の間に対話が生まれるドキュメンタリー。

パフォーマンスドキュメンタリー(Performative documentary) - コンサート演劇を記録したドキュメンタリー。

アニメーションドキュメンタリー(Animation documentary) - アニメーションによって構成されたドキュメンタリー。

教育ドキュメンタリー(Educational films) - 教育目的に制作されたドキュメンタリー。

日本以外の代表的ドキュメンタリー

極北の怪異 (極北のナヌーク)(1922年、イギリス) ロバート・フラハティ

カメラを持った男 (1929年、ソ連) ジガ・ヴェルトフ

糧なき土地(英語版)(1932年、スペイン) ルイス・ブニュエル

アラン (1934年、イギリス) ロバート・フラハティ

意志の勝利 (1935年、ドイツ) レニ・リーフェンシュタール

オリンピア(第1部:『民族の祭典』Fest der Volker /第2部:『美の祭典』Fest der Schonheit) (1938年、ドイツ) レニ・リーフェンシュタール

Why We Fight (なぜ我々は戦うのか) (1942?45年、アメリカ)フランク・キャプラ

ヴァン・ゴッホ (1949年、フランス) アラン・レネ

砂漠は生きている (1953年、アメリカ) ジェームズ・アルガー、ウォルト・ディズニー

夜と霧 (1955年、フランス) アラン・レネ

沈黙の世界(1956年、フランス) ジャック=イヴ・クストールイ・マル

世界残酷物語 (1962年、イタリア) グァルティエロ・ヤコペッティ

ベトナムから遠く離れて (1967年、フランス) クリス・マルケルジャン=リュック・ゴダール、アラン・レネ、ウィリアム・クラインヨリス・イヴェンスアニエス・ヴァルダクロード・ルルーシュ


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