ドイツ陸軍_(国防軍)
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ブランデンブルク(特殊部隊)

野戦軍の兵科

攻撃部隊(Fechtende Truppe)

司令部(Kommandobehorden)

要塞参謀(Festungsstammtruppe)

砲兵(Artillerie)

歩兵(Infanterie)

山岳兵(Pionieren)

装甲兵(Panzertruppe)

通信兵(Nachrichtentruppe)

煙幕部隊(Nebeltruppe)

宣伝部隊(Propagandatruppe)

技術部隊(Technische Truppen)

鉄道部隊(Eisenbahntruppe)

鉄道輸送部隊(Eisenbahnbetriebstruppen)

秘密野戦警察(Geheime Feldpolizei)

前線偵察部隊(Frontaufklarungstruppe)

地図測量部隊(Karten- und Vermessungstruppe)


補給部隊(Versorgungstruppen)

野戦装備部隊(Feldzeugtruppen)

自動車部隊(Kraftfahrparktruppen)

補給部隊(Nachschubtruppen)

秩序部隊(Ordnungstruppen)

衛生部隊(Sanitatstruppen)

管理部隊(Verwaltungstruppen)

獣医部隊(Veterinartruppen)

給水部隊(Wasserversorgungstruppen)


治安部隊(Sicherungstruppen)

沿革
前史

統一ドイツ初の近代陸軍はプロイセン陸軍(Preusische Armee)の流れをくむドイツ帝国陸軍(Deutsches Heer)である。
戦間期

ヴェルサイユ条約はドイツ陸軍は以下の制約を課された。

編制する師団の上限は7個歩兵師団、3個騎兵師団

軍司令部は2個まで、参謀本部は組織してはならない

兵力10万人まで、うち士官は4000人まで

また戦車の保有も禁止されていたが、戦車に関する研究は1920年代から続けられており、1931年から快速部隊兵監(Inspekteur der Schnelltruppen)オスヴァルト・ルッツ(英語版)少将とハインツ・グデーリアン中佐が中心となって、戦車部隊の運用研究に取り組んでいた。農業用トラクターの名目で1号戦車が開発され、製造業者に戦車の開発、量産のノウハウを習得させた。乗員はソビエト連邦との密約によりソ連領の奥地カザンで養成されていた。I号戦車の正式発注はヒトラー政権の誕生した1933年であった。

1935年ヒトラーはヴェルサイユ条約を破棄し、再軍備を宣言、翌年には非武装地帯であるフランス国境のラインラントに軍を進めた(ラインラント進駐)。この時に英仏は戦争も辞さないとの確固たる態度をとらなかった。ヒトラーはこの時のことを「自分の一生の中で最も神経を痛めた」と、回想している。ドイツはこれ以降主権回復の要求をエスカレートさせる。

陸軍上層部には、プロイセン陸軍以来のユンカードイツ騎士団の伝統を汲む地主の子弟)が多く、軍の地位が脅かされない限り、政治には中立的であった。しかしチェコスロバキア領内のドイツ人の多く居住するズデーテンラントのドイツ帰属を巡ったヒトラーが戦争も辞せずとイギリスフランスと対立した1938年に戦争準備が充分でないとする陸軍参謀総長ルートヴィヒ・ベック大将を中心とする政府転覆計画が練られたが、英仏の譲歩により計画実施には至らなかった。

ポーランドへの侵攻を行った1939年9月時点でも、英仏の譲歩が予想されていた。これがイギリス・フランスとの長期にわたる戦争につながるとは誰も予想していなかった。
第二次世界大戦初期
対ポーランド戦

初戦であるポーランド侵攻では、殲滅戦理論に基づいた全面攻勢によって、『東欧の大国』ポーランドをわずか27日で降伏に至らしめた。また当時世界最強と謳われていた騎兵旅団「ポモルスカ」を全滅させ、第二次世界大戦についで、戦車の力を世界に知らしめた。
対仏戦

1940年の春には、ドイツ軍はデンマークノルウェーを立て続けに占領した。その後のフランス戦では、ドイツ軍は、強固な『マジノ線』が敷かれていた独仏国境を避け、ベルギールクセンブルクを制圧して通過することにより迂回してフランスに侵攻した。ドイツ軍は、その地形から機甲師団の通行は不可能と見なされ、防御が手薄になっていたアルデンヌの森を戦車を中心とする機甲師団で突破し、そのままベネルクス方面に展開する連合軍を包囲。怒涛の勢いで進軍するドイツ軍を前に連合軍は混乱に陥り、英仏軍は短期間で壊滅させられた。ドイツ軍は電撃戦によりフランスを圧倒し、第一次世界大戦時に四年の歳月を費やしても勝つことのできなかったフランスを、戦闘開始から僅か一ヶ月半で降伏させた。
対英戦・バルカン半島

フランス降伏後、ドイツはイギリス本土上陸作戦(アシカ作戦)を計画したが、空軍による英本土攻撃(バトル・オブ・ブリテン)が失敗したため果たせなかった。まだその帰趨も明らかでなかった8月のうちに、スペインに領内通過を求めて英領ジブラルタルを攻略する計画も起草されたが、スペインの同意を得られず同年末までに立ち消えとなった。


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