ドイツ連邦議会
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立法機関としては地位も権能も国民の直接選挙で選ばれる連邦議会に優位がおかれ、このためにドイツの国会は一院制と見ることもできる。国会議事堂内は連邦議会の議場のみ存在し、上院に相当する連邦参議院の議場は、この国会議事堂になく、旧プロイセン貴族院に置かれている。
議会の沿革

神聖ローマ帝国時代に諸侯会議(Reichstag、ライヒスターク)が設置される。これは現在の意味の議会の機能を有するものではなかった。

1815年に創設されたドイツ連邦で初めて連邦議会(ドイツ語版、英語版) (Bundestag des Deutschen Bundes、ブンデスターク・デス・ドイチェン・ブンデス。直訳すれば「ドイツ連邦の連邦議会」) という名称が使われた。

1867年に始まる北ドイツ連邦では神聖ローマ帝国と同じ国会(Reichstag、ライヒスターク)と称した。

1871年ドイツ国(Reich)が成立すると「国会」(Reichstag)の名称がそのまま継承されて、ヴァイマル共和政ナチス・ドイツ時代までこの名称が存続した。
詳細は「帝国議会 (ドイツ帝国)」、「国会 (ヴァイマル共和政)(英語版)」、および「国会 (ナチス・ドイツ)(英語版)」を参照

1949年ドイツ連邦共和国(西ドイツ)が成立すると、同年の9月7日にドイツ連邦議会(Deutscher Bundestag)という名称が採用された。議事堂は臨時首都のボンに置かれた。

1990年再統一後、1999年に、ベルリン国会議事堂の大改修が完了し、ドイツ連邦議会はベルリンへ移転した。

選挙制度
沿革
初期議会の選挙制度

1949年の第1回連邦議会議員選挙(定数400議席(表決権のない西ベルリン選出議員を除く。))においては、「第1期連邦議会及び第1期連邦集会に関する1949年6月15日の選挙法」(BGBl. I S.21)に基づき、242議席(うち2議席が超過議席)が選挙区から選出され、160議席が州名簿から選出された[1]。この選挙は、1票制であり、定数の割り当て、政党への議席配分、阻止条項の適用は、いずれも州ごとに実施された[1]。その結果、各州において有効投票総数の5%以上の得票があるか、又は選挙区において1議席以上を獲得した政党でなければ、州名簿への議席配分を受けることができなかった[1]

1953年第2回連邦議会議員選挙においては、「第2期連邦議会及び連邦集会に関する1953年7月8日の選挙法」(BGBl. I S.470)に基づき、定数が484議席に増加し、選挙区の定数と州名簿の定数の比率が50%ずつとなったほか、2票制が導入された[1]。阻止条項の適用は、州ではなく連邦全土を単位として実施されたため、連邦全土で第2票(政党への投票)の有効投票総数の5%以上の得票があれば、州名簿への議席配分を受けることが可能となった[1]
連邦選挙法の制定

その後、1956年には、恒久法として連邦選挙法(ドイツ語版)(BGBl. I S.383)[注釈 2]が制定され、現在に至るまでの間、連邦議会議員選挙は同法に基づいて実施されている[1]

1957年第3回連邦議会議員選挙においては、定数が496議席に増加したほか、阻止条項のハードルが高められ、連邦全土で第2票の有効投票総数の5%以上の得票があるか、又は選挙区において3議席以上を獲得した政党でなければ、州名簿への議席配分を受けることができないこととされた[1]。また、同一政党の州名簿を結合(「名簿結合(ドイツ語版)」)して、これを1つの名簿とみなして議席配分をすることが可能となった(連邦選挙法7条)[1]。その後、1つの州のみで選挙に参加する政党(例えば、キリスト教社会同盟(CSU))以外の全ての政党が名簿結合を利用するようになったため、1975年6月24日の連邦選挙法改正法(BGBl. I S.1593)において、同一政党の州名簿は、反対の意思表示がない限り、結合されたものと推定する旨の規定が設けられ、名簿結合をすることが原則であるとされた[1]


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