ドイツ赤軍
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直近に発生したテルアビブ空港乱射事件の犯人らが、同じ時期にドイツ赤軍が中東でゲリラ訓練を受けていたこと、潜伏先のフランクフルトからテルアビブへ出発したことから関連性も指摘された[3]

彼らの逮捕後は、弁護士で赤軍シンパのクラウス・クロワッサン(Klaus Croissant)とジークフリート・ハーク(Siegfried Haag)が組織の後継者となる「第二世代」のメンバーの勧誘と訓練などを行いながら、獄中の「第一世代」と面会しその声明をマスコミや支援者らに伝えていた。

裁判は刑務所と裁判所の往復中に奪還されるのを恐れ刑務所の敷地内の多目的ビルで1975年に開催され、厳重警戒のなか進められた。獄中でドイツ赤軍第一世代は何度も大規模なハンガーストライキを行い、マインホフは1976年に刑務所内で自殺するが、他メンバーは激しい獄中・法廷闘争を繰り広げた。

第二世代は、無政府主義のテロリストグループ「六月二日運動」のメンバーで政治家ペーター・ロレンツ(Peter Lorenz)の誘拐事件、ストックホルムの西ドイツ大使館占拠事件などを立て続けに起こしギュンター・フォン・ドレンクマン西ベルリン高等裁判所長官らを暗殺した。
ドイツの秋詳細は「ドイツの秋」および「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」を参照

1977年には政財界の重要人物を連続誘拐して政府を混乱させ意志をくじき、獄中の第一世代を解放するという「77年攻勢」を開始。ブリギッテ・モーンハウプトとクリスティアン・クラーを新たな指導者として、ジークフリート・ブーバック西ドイツ連邦検事総長、ユルゲン・ポントドレスデン銀行会長など、政財界や司法界の重要人物を相次いで暗殺し、西ドイツを震撼させた。

1977年9月5日には西ドイツ経営者連盟会長ハンス=マルティン・シュライヤーを誘拐したが、西ドイツ政府は第一世代の釈放に応じなかった。ドイツ赤軍は政府にさらに圧力を加えるためパレスチナ解放人民戦線ハイジャックを起こすことを要請し、10月にはルフトハンザ航空181便ハイジャック事件が起きるが、ハイジャック機がソマリアモガディシュに着陸したところを西ドイツ政府によって派遣された特殊部隊GSG-9が急襲した。結果、ハイジャック犯3名は射殺、1名を逮捕、乗客人質全員が救出された。ハイジャックの失敗を知ったバーダーらは獄中で自殺。10月19日、ドイツ赤軍は誘拐したシュライヤーを殺害、遺体はフランスで発見された。
1980年代

1982年には、リーダーが逮捕されたもののフランスの極左組織直接行動ベルギー戦闘的共産主義者細胞の残党を吸収して活動を再開。攻撃目標をNATOや軍関連の人物や施設に向けてさかんに暗殺、爆破をおこなった。また西ドイツのヨーロッパ各国の在外公館襲撃や、シーメンス会長暗殺などの西ドイツの経済界の暗殺も活発に行った。

しかし、1989年にベルリンの壁が崩壊冷戦が終結すると、資金源となっていた東ドイツや東欧諸国を失い、また「帝国主義打倒」、「資本主義打倒」という目標や存在基盤を失った。その後後ろ盾の東ドイツの諜報機関を失い、さらに東ドイツに潜伏していたメンバーが次々逮捕された。
1990年代 - 解散

1990年にはドイツが統一し、これにて東ドイツという最大の資金源を永遠に失った。翌1991年には、1990年に設立された旧東ドイツの国営企業の資産を清算し、民間に売却、もしくは清算する信託公社の総裁であるデトレフ・ローヴェッダーのデュッセルドルフでの暗殺事件にも関ったとされ、実際にドイツ赤軍の犯行声明はなされたが、この事件には元東ドイツの諜報機関の犯行もうわさされ、詳細は今も不明である。

1990年代には後継組織とみられる「反帝国主義者細胞」が活動を始めたが、1996年に最高幹部が逮捕され以後、活動をしていない。1998年ロイター通信ボン支店にドイツ赤軍の解散宣言の声明文を送付した。
映画

過激なフェルディナント
(1976年、アレクサンダー・クルーゲ監督)

秋のドイツ(1978年、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーフォルカー・シュレンドルフ監督等のオムニバス)

第三世代(1979年、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー監督)

鉛の時代(1981年、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督)

バーダー・マインホフ/理想の果てに(2008年、ウーリ・エーデル監督、ベアント・アイヒンガー脚本・製作)

音楽

Baader Meinhof
(1996年、The AuteursのLuke Hainesが同名義で発表したアルバム)

関連項目

革命細胞

日本赤軍

赤い旅団

過激派

PFLP

PFLP旅客機同時ハイジャック事件


コンスル (テロ組織)

アモン・デュール

BMW・02シリーズ - 好んでこの車種を窃盗することからBMW = Baader Meinhof Wagenと綽名された[4]。ただし、この車種のみならずポルシェ・911など高級車を好んで盗む傾向があった[5]

ドイツ赤軍メンバー(英語版)

ダニエラ・クレッテ(英語版) ‐ 殺人未遂や強盗などの罪で指名手配されたメンバー。30年以上逃亡していたが、テレビ番組での情報提供呼びかけがきっかけで2024年2月27日に逮捕された。


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