1920年代半ばにドイツとベルギーとの間で秘密協議がなされ、ベルギーの財政建て直しの手段としてこの地域のドイツへの売り戻しが検討された。このとき2億金マルクが提示された[3]。ところがこの動きに対して戦後秩序の崩壊を恐れたフランス政府がベルギー政府に介入し、ベルギーのドイツ人に関する協議は破談となった。
しかし併合からわずか20年のちの1940年、オスト=カントネ地方は第二次世界大戦においてふたたびドイツ領となった。自らがドイツ人とされるようになりオスト=カントネ地方の住民の多数はドイツによる支配を歓迎した。1945年にドイツが敗戦したことを受けてオスト=カントネ地方はふたたびベルギー領となり、ナチス・ドイツに協力したとしてベルギーおよびワロンの当局によって現地住民の非ドイツ化がなされようとした。
1960年代初頭、ベルギーはオランダ語(フラマン語)の北部のフランデレン地域、フランス語の南部のワロン地域、二重言語地域としての首都ブリュッセル、そしてオスト=カントネ地方のドイツ語話者地域という、言語別の4つの地域区分を導入した。
1973年には3つの共同体と3つの地域が設置され、それぞれに自治権を与えた。このときドイツ語共同体には立法機関としてドイツ語共同体議会が設置された。現在、ドイツ語共同体は、とくに言語と文化については一定の自治権を有しているが、地域としてはフランス語話者の地域であるワロン地域にとどまっている。近年はドイツ語共同体も単一の地域の地位を得るべきだ、ワロン地域からとりわけ社会政策、遺跡・建造物保護、環境保護政策、交通、基礎自治体の財政に関する権能を移管すべきだという主張がなされている。ドイツ語共同体元首相のカール=ハインツ・ランベルツ (Karl-Heinz Lambertz) はドイツ語共同体の地域としての完全な自治権を得ようと主張しているひとりである[4]。とくに空間計画、都市建設、住宅に関する地域の自治権の獲得を目指している[4][5]。 ドイツ語共同体は独自の政府
政府
オリヴァー・パーシュ (ProDG) - 首相
イザベレ・ヴァイクマンス (PFF) - 文化・雇用・観光担当相
アントニオス・アントニアディス (PS) - 副首相、家族・保健・社会担当相
リディア・クリンケンベルク (ProDG) - 教育・科学技術担当相
基礎自治体ドイツ語共同体政府の庁舎(オイペン)
ドイツ語共同体は以下の基礎自治体で構成される[6]。
アメル
ビューリンゲン
ブルク=ロイラント
ビュートゲンバッハ
オイペン
ケルミス
ロンツェン
ラーレン
ザンクト・フィート
旗、紋章ドイツ語共同体庁の入り口。9輪のキジムシロは旗と異なるように配置され、また王冠を戴いている。
1989年、共同体の旗と紋章を制定することが求められるようになった。この結果、紋章には共同体の2つの地域がかつて属していたリンブルフ公国とルクセンブルク公国のものを組み合わせた意匠となった。
1990年10月1日に紋章、旗、色を定めた法令が採択され、同年11月15日に施行された。この11月15日はドイツ語共同体の日として、毎年この日は共同体の休日となっている[7]。
旗には白地に赤い獅子と青い9輪のキジムシロが描かれている。ドイツ語共同体の色は白と赤を水平に配置したものである。
脚注[脚注の使い方]
出典^ ベルギー憲法第2条
^ “ ⇒Uber die Lage der Sprachminderheiten in der EU. Ein Uberblick der GfbV-Sudtirol” (ドイツ語). Gesellschaft fur bedrohte Volker (2000年11月8日). 2010年11月13日閲覧。
^ a b “ ⇒Zur Geschichte der Deutschsprachigen Gemeinschaft” (ドイツ語). Parlament der Deutschsprachigen Gemeinschaft. 2010年11月13日閲覧。
^ a b Joost De Vries; Alex Tielemans (2008年8月15日). “ ⇒De triangelspeler van Belgie” (オランダ語). De Groene Amsterdammer. 2010年11月13日閲覧。
^ “Duitstalige Gemeenschap wil extra bevoegdheden” (オランダ語). De Morgen (2009年9月15日). 2010年11月13日閲覧。
^ “ ⇒Stadte & Gemeinden” (ドイツ語). Deutschsprachigen Gemeinschaft. 2010年11月13日閲覧。
^ “ ⇒Wappen & Fahne” (ドイツ語). Deutschsprachigen Gemeinschaft. 2010年11月13日閲覧。