ドイツ国首相
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1918年、第一次世界大戦でドイツの敗戦が濃厚になり、改革の気運が高まっていった。10月28日に憲法が修正され、帝国宰相はその職務遂行に際して帝国議会の信任を必要とし、連邦参議院及び帝国議会に対して責任を負うこと、皇帝が権限を行使する際に帝国宰相が責任を負うこととなった。しかし、このような「議会主義的帝政」も国民の支持するところとなり得ず、11月3日ドイツ革命が始まった。9日、帝国宰相マクシミリアン・フォン・バーデンは皇帝の退位を独断で発表し、社会民主党党首のフリードリヒ・エーベルトに帝国宰相職を譲り渡した。同日、フィリップ・シャイデマンが共和国成立を宣言し、帝政は崩壊した。
ヴァイマル共和政

1918年11月9日、革命により帝政が崩壊すると、帝国宰相および帝国指導部も廃止され、革命時に成立した労兵協議会と人民委員政府が暫定的に権限を掌握した。1919年2月にヴァイマル共和政が発足すると、フィリップ・シャイデマンを首班とする内閣が組閣された。新たに成立したこの行政府は、帝政から意識的に距離をとって、ライヒ政府(Reichsregierung)と名乗り、首班もライヒ大臣主席(Reichsministerprasident)と称した。しかし、ドイツ国政府という名称と各省庁の長であるライヒ大臣(Reichsminister)の称号がそれ以降、1945年のドイツ国崩壊まで用いられたのに対し、ライヒ大臣主席という名称は公用語では定着しなかった。ヴァイマル憲法の制定に際し、社会民主党が提案した「ドイツ共和国」の国号が拒否され、以前からの「ドイツ国(ドイチェス・ライヒ)」が国号として採用されると、1919年8月、ドイツ国政府の首班は帝政時代と同じReichskanzlerという名称に戻った。ヴァイマル共和政及びナチスドイツのReichskanzlerは、帝政時代と異なり日本では一般的に首相と訳される[7]

ヴァイマル共和政において、首相は国家元首であるドイツ国大統領によって任免され[8]、ドイツ国政府の議長として政治の基本方針を定め[9]、国会(Reichstag)の信任に基づいて職務を遂行し[10]、大統領と国会に対して責任を負うようになった[11]。また、国会の信任を失った場合は首相は辞任しなくてはならないとされた[10]。しかしその一方で、首相はヴァイマル憲法の第48条に規定された大統領緊急令に頼って、議会の多数派なしでも統治を行えた。特にパウル・フォン・ヒンデンブルクの大統領時代の後半には、議会主義政党の弱体化もあって大統領の信任のみを基礎とする大統領内閣が常態となった。
第三帝国

アドルフ・ヒトラー1933年1月30日に首相に就任してまもなく、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)による一党独裁体制が確立し、議会制的政府形態は終わりを告げた。詳細は「ナチ党の権力掌握」を参照

1934年8月にヒンデンブルク大統領が死去すると、「国家元首に関する法律」において首相職に大統領職を統合し、さらに大統領の職権を「指導者兼ドイツ国首相(Fuhrer und Reichskanzler)であるアドルフ・ヒトラー個人」へと委譲させた。以後、日本ではヒトラーの地位を総統と呼ぶようになる。

第二次世界大戦末期、連合国軍がベルリンへと迫り、ドイツ国が崩壊するなか、1945年4月30日にヒトラーは自殺した。彼は遺言書において側近であるヨーゼフ・ゲッベルスを後継者として首相に指名した。これは、ドイツ国が当時既にその大部分を連合国軍に占領され、ゲッベルスもヒトラーの死の翌日の5月1日に自殺したので政治的な影響はなかった。同様にヒトラーの遺言書により大統領に指名されたカール・デーニッツ提督は5月2日シュヴェリン伯ルートヴィヒ・フォン・クロージク暫定政府の指導を委任した。しかし、クロージクはドイツ国首相の官職名を用いなかった。第三帝国期における最後の政府は、正統性は「ヒトラーの指名」のみを基礎とし支配領域はほとんどなく実権の乏しいものであったが、5月23日に連合国軍により公式に廃止された。
脚注[脚注の使い方]^ a b ドイツ帝国憲法第15条。
^ ドイツ帝国憲法第17条。
^ 木村靖二「近代社会の形成と国家統一」(『新版世界各国史13 ドイツ史』、山川出版社、2001年)。
^ その後、各邦を超えた帝国固有の行政事務が拡大するとともに、外務省・内務省・海軍省・鉄道省・郵政省・司法省・財務省・植民省などの帝国省庁が設置されていった。
^ 帝国の官職はそれに対応したプロイセンの大臣によって兼務されることが通例であったため、事実上、帝国指導部の大抵の構成員は大臣ではあった。
^ 望田幸男「第二帝政の国家と社会」(『世界歴史大系 ドイツ史2』、山川出版社、1996年)。
^ 前掲『新版世界各国史13 ドイツ史』のほか、『世界歴史大系 ドイツ史3』(山川出版社、1997年)、若尾祐司・井上茂子編著『近代ドイツの歴史 ―18世紀から現代まで― 』(ミネルヴァ書房、2005年)などの通史・概説書を参照。なお、ヴァイマル共和政期のReichskanzlerを宰相と訳す例もある。村瀬興雄『アドルフ・ヒトラー』(中央公論社〈中公新書〉、1977年)、や初宿正典「ドイツ憲法略史」(高田敏・初宿正典編訳『ドイツ憲法集 第5版』、信山社、2007年)など。
^ ヴァイマル憲法第53条。
^ ヴァイマル憲法第55条、第56条。
^ a b ヴァイマル憲法第54条。
^ ヴァイマル憲法第50条、第56条。

関連項目

ドイツの首相

典拠管理データベース: 国立図書館

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