そのため、法律上の解釈では、ドイツは「再統一」したのではなく、ドイツ民主共和国の領域を構成していた全ての州がドイツ連邦共和国に「加盟」したとしか言えない[注 3][注 4]。 ドイツは第二次世界大戦後から約40年にわたって分断され、旧東西両国が資本主義と共産主義という違った経済体制を敷いていたため、旧西ドイツと旧東ドイツでは大きな経済格差があった。旧東ドイツは東側の社会主義国の中では一番経済が発展していた「社会主義国の優等生」ではあったが、それでも世界屈指の経済大国である旧西ドイツとの差は非常に大きかったと言われる。再統一後のドイツは深刻な不況に襲われ、その影響は長く続いた。
ベルリンの壁崩壊から再統一までの経過「東欧革命」および「ドイツの歴史#ドイツ再統一」も参照
1989年
11月9日 - ベルリンの壁が崩壊する。
12月1日 - 東ドイツ憲法第1条からドイツ社会主義統一党(SED)による国家の指導を定めた条項が削除され、SEDの一党独裁制が終焉。
1990年
3月1日 - 西ドイツで、東ドイツの国有資産接収を目的とした信託公社(ドイツ語版)が設立される。
3月18日 - 東ドイツにて自由選挙が実施され、ドイツ統一を主張する保守連合「ドイツ連合」が勝利する。
5月5日 - 東西ドイツと米英仏ソの6か国外相会議が開催される。
5月18日 - 西ドイツと通貨・経済・社会同盟の創設に関する国家条約を調印する。
7月1日 - 通貨・経済・社会同盟の創設に関する国家条約が発効し、西ドイツの通貨ドイツマルクが東ドイツに導入される。
7月17日 - 6か国外相会議で、統一ドイツの北大西洋条約機構(NATO)への加入を確認する。
7月23日 - 東ドイツの県が廃止され州が復活される(新連邦州)。
8月23日 - 東ドイツの人民議会で東ドイツ5州の西ドイツ加盟が決議される。
8月31日 - ドイツ再統一条約が調印される。
9月12日 - ドイツに関する最終規定条約が調印される。
10月3日 - 西ドイツ基本法23条に基づき、東ドイツの州が西ドイツに加入する。
再統一後の経済
旧西ドイツでは経済混乱に足をすくわれ、再統一の際に1:1での通貨交換をしてしまったため、5000億マルク(当時の日本円にして約3兆5000億円)が吹き飛び、赤字転落してしまった。また、旧東ドイツでは、民営化された国営企業の相次ぐ倒産により失業者数が増加した。そのあおりで極右政党が移民排斥を主張すると、失業者と競合する国民の共感を得る傾向にあり、東西ドイツ時代には封じられていたネオナチ思想も、格差の残る旧東ドイツを中心に息を吹きかえした。