ドイツ再統一
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8月23日 - 東ドイツの人民議会で東ドイツ5州の西ドイツ加盟が決議される。

8月31日 - ドイツ再統一条約が調印される。

9月12日 - ドイツに関する最終規定条約が調印される。

10月3日 - 西ドイツ基本法23条に基づき、東ドイツの州が西ドイツに加入する。

再統一後の経済

ドイツは第二次世界大戦後から約40年にわたって分断され、旧東西両国が資本主義共産主義という違った経済体制を敷いていたため、旧西ドイツと旧東ドイツでは大きな経済格差があった。旧東ドイツは東側社会主義国の中では一番経済が発展していた「社会主義国の優等生」ではあったが、それでも世界屈指の経済大国である旧西ドイツとの差は非常に大きかったと言われる。再統一後のドイツは深刻な不況に襲われ、その影響は長く続いた。

西独および再統一ドイツのヘルムート・コール首相は、整理解雇請負会社「ドイツ信託公社」に依頼し、旧東ドイツ国営企業の民営化や大規模な整理解雇を行った。

旧西ドイツでは経済混乱に足をすくわれ、再統一の際に1:1での通貨交換をしてしまったため、5000億マルク(当時の日本円にして約3兆5000億円)が吹き飛び、赤字転落してしまった。また、旧東ドイツでは、民営化された国営企業の相次ぐ倒産により失業者数が増加した。そのあおりで極右政党が移民排斥を主張すると、失業者と競合する国民の共感を得る傾向にあり、東西ドイツ時代には封じられていたネオナチ思想も、格差の残る旧東ドイツを中心に息を吹きかえした。再統一後も旧東ドイツへの援助コスト増大などによって、旧西ドイツの経済は圧迫を強いられた。2006年頃には景気回復の兆しを見せたが、世界金融危機により、再び不況に陥った(欧州全体が世界金融危機の影響を受けており、ドイツだけが特別ではない)。2010年に欧州連合(EU)が経済危機に陥ったギリシャへの金融支援を検討した際(2010年欧州ソブリン危機)、最も強く反対したのは20年近くの不景気にあえぎ続けていたドイツであった。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}そこでドイツはフォルクスワーゲンなど大手雇用口企業を政策で保護するという、ドイツ版逆コースとも言うべき経済政策が施された。しかしこの結果が、フォルクスワーゲンの排ガス規制不正問題を誘発することになる。[要出典]

2007年10月、ドイツの世論調査会社の調査によると、「東西に分断されていた頃の方が良かった」と答えた人は全体の19%に上るなど、必ずしも全てのドイツ人がドイツ再統一を歓迎していない実態が明らかとなった[1]

2010年代はGDPは増加傾向であり[2]、失業率も減少して2011年の時点では1991年以来の低水準となっている[3]。2010年代後半からユーロ安により安定的な経常収支の黒字を記録してきた。2019年の経常黒字額は2930億ドルと4年連続世界最高水準を記録。経常黒字の対国内総生産比は、欧州委員会が持続可能と見なす水準6.0%を超え7.6%に達した[4]。名目国内総生産(GDP)は1990-2020年の間でドイツ2.3倍増、米国3.5倍増、中国37倍増、日本1.5倍増となり、日本の失われた30年よりは経済成長を実現している[5]
東西ドイツ旧国境「ドイツ国内国境線」および「en:German Green Belt」を参照

北大西洋条約機構(NATO)と、ソ連と東欧諸国で構成するワルシャワ条約機構が対峙する冷戦の最前線であり、「鉄のカーテン」の主たる部分をなしていた。バルト海沿岸からチェコとの3カ国国境まで約1400キロメートルあり、東独側では国民の西独への亡命を防ぐため、幅300メートルほど鉄条網塹壕バリケード地雷原が設けられ、監視塔とパトロール車両で武装兵が警備していた。再統一後、これらは博物館として一部が残されたほかは撤去された。国境の封鎖で開発が及ばず希少な動植物を含む自然が結果的に残り、これらを保全する「グリューネス・バント」(Grunes Band)という活動が行われている[6]


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