ドイツ人
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18世紀以降エカチェリーナ2世の招きでロシアに移住したドイツ人(ヴォルガ・ドイツ人[注釈 2]も多く、第二次世界大戦前にはヴォルガ河畔にヴォルガ・ドイツ自治共和国を築いたが、大戦勃発後にカザフスタンなどに強制移住させられた。旧ソヴィエト連邦内に住むドイツ系住民は200万人近くいると推定されている。しかしソ連崩壊後、旧ソ連各国で民族主義が台頭し、ドイツ系住民は迫害されて祖国ドイツへ帰国する人も増えている。しかし同じ民族ながら(標準)ドイツ語を解さないドイツ人として新たな難民問題となっている。

ドイツ国民以外の人々を「ドイツ人」と呼べるかどうかは微妙なところである。特にオーストリアは約600年間ドイツ国家である神聖ローマ帝国の中枢であったため、自らをドイツ人の主流とみなす考え方が根強かった。また、神聖ローマ帝国内の地方自治制度(郡制度)が確立した1512年より神聖ローマ帝国は「ドイツ人の神聖ローマ帝国(Heiliges Romisches Reich Deutscher Nation)」と呼ばれてきた。このため、ハプスブルク家による帝政の崩壊後の一時期は「ドイツ・オーストリア共和国(Republik Deutschosterreich)」という国号を使用していた(国号は短期間だったが、国歌の「ドイツ人の国オーストリア」という歌詞は十数年用いられ続けた)ほどで、オーストリア第一共和国時代は左派・右派を問わずドイツとの合併を望む声が強かった。オーストリア人アドルフ・ヒトラーによるオーストリア併合はこれを背景にしているが、併合後二流市民扱いされ、連合軍の爆撃などで惨憺たる目にあったオーストリア国民は、ナチスの崩壊後、ドイツ人とは異なるオーストリア人という意識が強くなっている。オーストリア民族という概念は根拠薄弱であり、本来イギリスや北欧も包括するゲルマン民族という言葉も漠然としすぎているため、なおドイツ人という言葉にこだわる人も一部にいる。近年の右派連立政権に加わっていた右翼政党はそうしたドイツ民族主義者の流れを汲んでいる。

「ドイツ」のアイデンティティは意識の上でも歴史の上でも、まずドイツ語、次いでこれを話すドイツ民族、最後にそれらを統べるドイツ国家という順序をたどる傾向がある。特にアフリカや新大陸、ユーラシア大陸など世界中に広く拡散した英語フランス語スペイン語ロシア語等とは異なり、第一次世界大戦の敗戦によりドイツ植民地帝国が潰えたことから域外に定着するに至らず、ドイツ語がほぼドイツ周辺の同民族にまとまっているだけに、この三者の結びつきは強い。ほとんど民族的共通性のない英語圏やスペイン語圏、ロシア語圏、地域的連続性に欠けるフランス語圏とは明らかに事情が異なる。オーストリアが近年ふたたびドイツ民族主義に傾斜しているのは、EUという連合国家の傘のもとでの「ドイツ人(ドイツ語使用者)」というまとまりが強く意識され始めたためともいえる。それだけにEU未加盟で、なおかつ大部分がドイツ語圏にふくまれるスイスの立場は微妙である。

なお、中欧東欧の地名の中には「ニェメツキー? N?mecky-」「ネーメト? Nemet-」という前置きを持つ地名がある[注釈 3]。意味は、「(中欧や東欧の原住民である)われわれ(スラヴ人)の言語(スラヴ語)が話せない唖(おし)の人々(つまりドイツ人)の?」という意味である。これらの町はドイツ人によって作られたか、ドイツ人が多かったため、同じ名前の隣町と区別するためである。

ちなみに、ロシア語では「民族的な意味でのドイツ人」をニミェーツキー(немецкий)と呼び、「ドイツ国民(ドイツ国籍を持つ者)」をギルマーニツ(германец)と呼ぶ。また、「ドイツ語」はニミェーツキー・イズィーク(Немецкий язык)と呼ぶ。ちなみに、アメリカの俳優レナード・ニモイのニモイ(Nimoy = немой)も「唖(おし)の」というロシア語に由来する。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ ただし、こうした状況は特にドイツに限ったことではない。島国であり鎖国が長かったため、比較的他民族の交流が薄い日本においても純粋な単一民族国家ではない。欧州の他国は英仏をはじめ、ドイツ以上に複雑である。地球上にはかなりの僻地を除いては、純粋な血統の民族はほぼ存在しないといえる。
^ 経済的貧困およびプロテスタントの中での宗教的少数派などの理由で移住した。
^ チェコのニェメツキー・ブロト N?mecky Brod(現ハヴリーチクーヴ・ブロト Havli?k?v Brod)とチェスキー・ブロト ?esky Brod など。ドイツ人のブロト(浅瀬)とチェコ人のブロト、という意味である

出典^ See the article entitled Religion in Germany.
^ 山田欣吾 1993, pp. 648.
^ 『バイエルン王国の誕生』より
^ 山田欣吾 1993, pp. 142?143.
^ 原田一美 2012, pp. 162.
^ 原田一美 2012, pp. 168?169.
^ 南利明 1998, pp. 4、11.
^ 足立芳宏 2012, pp. 40、71.
^ 足立芳宏 2012, pp. 46.
^ 『白人とは何か』藤川隆男編 p71-80「ヒムラーのアーリア人種観とその帰結」原田一美著


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