日本では1918年から1933年までのドイツ国を「ヴァイマル共和政」と呼んでおり、日本の歴史教科書の類では共和政の「Reichskanzler」を「首相」と訳して帝政時代のものと区別している場合が多い。なお帝政ドイツ時代には帝国内閣が存在せず、帝国各省庁の長は、帝国宰相の下僚としてその指示に厳格に従う「国務長官(Staatssekretar)」であって、「大臣(Minister)」のように君主に対して宰相と同様に責任を負い、その業務について自立して任務に当たるものではなかった。つまり、帝政宰相は行政上の責任を単独で果たしていたのである。これに対し、ヴァイマル共和政以降の首相は議会に責任を負う合議制行政機関としての内閣の議長として位置づけられた。訳語の変化は、こうした役割の変化も表しているのである。
ナチス・ドイツ詳細は「総統」を参照ドイツ国総統
アドルフ・ヒトラー
1934年8月1日、ヒンデンブルク大統領の死後発効する法律として「ドイツ国および国民の国家元首に関する法律」が制定された。この法律で大統領の地位は首相と統合された。8月19日にはこの措置の是非を問う民族投票(ドイツ語版)が行われ、圧倒的多数で承認された。ヒトラーは公文書には「指導者兼国家宰相」(Fuhrer und Reichskanzler)と署名していたが、後には国家宰相の肩書きを用いる事がほとんど無くなった。 第二次世界大戦後、ドイツは米・英・仏・ソの4ヵ国による占領下におかれたが、冷戦の対立構造が固定化されていく中で共同占領は困難となり、1949年秋に米・英・仏占領区にドイツ連邦共和国(西ドイツ)が、ソ連占領区にドイツ民主共和国(東ドイツ)が建国された。 東ドイツは、旧来の呼称を使用せず、1949年の憲法では「総理大臣」(Ministerprasident)[2]としたが、社会主義国を宣言した1968年の憲法改正で閣僚評議会議長(Vorsitzende des Ministerrates)[3]に改められた。東ドイツはソ連型の一党独裁制国家であり、1989年の民主化まで国政の実権は支配政党であるドイツ社会主義統一党の書記長が握っていた。 西ドイツは国号に「連邦」の一語が追加されたのにともない、首相の呼称も北ドイツ連邦にさかのぼる「連邦宰相」(Bundeskanzler)に戻された。 1990年10月3日、西ドイツが東ドイツを吸収合併する形で再統一を達成した後は、そのまま「連邦宰相」(Bundeskanzler)の呼称が使われている。ただし日本では「宰相」という時代がかった表現は、アデナウアーやコールに関連して時折、あるいは州首相と並べて論じるとき混同しないよう使うくらいで、「Bundeskanzler」の公式訳も「連邦首相」とするものがほとんどである。 日本では、外国の首相に相当する官職を一律に「首相」と呼称しており、現在のドイツ連邦共和国の「Bundeskanzlerin[4]」も、過去のドイツの「Reichskanzler」も、すべて単に「首相」と表記する場合が多い[5]。 英語では自国外国を問わず、首相は一律に「Prime Minister」と呼ぶことになっている。ただしドイツの首相だけは伝統的な例外で、ドイツ語を直訳した「Federal Chancellor」、 または単に「Chancellor」と呼んでいる。 ドイツ語では、同じドイツ語圏で連邦制のオーストリアの首相のことも Bundeskanzler(連邦首相)と呼んでいる。そのほかの外国の首相は、各国の政治機構や原語での表現をもとに、「Ministerprasident」(総理大臣)または「Premierminister」(首相)と呼んでいる。 所属政党.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} 無所属 (官僚・軍人) ドイツ社会民主党 (SPD) 自由保守党 (FKP) 中央党 → キリスト教民主同盟 (CDU) ・キリスト教社会同盟 (CSU) ドイツ人民党 (DVP) → 自由民主党 (FDP) 国民社会主義ドイツ労働者党 (NSDAP) ドイツ社会主義統一党 (SED) 代連邦宰相の氏名写真在任期間所属政党備考 代帝国宰相の氏名写真在任期間所属政党備考 zu Hohenlohe-Schillingsfurst1894年10月29日
東西分裂と再統一
ドイツ民主共和国ドイツ民主共和国初代首相
オットー・グローテヴォール
ドイツ連邦共和国ドイツ連邦共和国初代連邦首相
コンラート・アデナウアー
諸外国での表現
歴代ドイツ首相
北ドイツ連邦
1オットー・フォン・ビスマルク
Otto Eduard Leopold Graf von Bismarck-Schonhausen1867年7月1日
- 1871年3月21日無所属陸軍元帥位を有する上級大将
ドイツ国首相、プロイセン王国首相、外務大臣、貴族院議員
ドイツ帝国
1オットー・フォン・ビスマルク
Otto Eduard Leopold Furst von Bismarck1871年3月21日
- 1890年3月20日無所属陸軍元帥位を有する上級大将
北ドイツ連邦宰相、プロイセン王国首相、外務大臣、貴族院議員
2レオ・フォン・カプリヴィ
Leo von Caprivi1890年3月20日
- 1894年10月26日無所属
(軍人)陸軍歩兵大将、プロイセン王国首相、外務大臣
3クロートヴィヒ・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルスト
Chlodwig Karl Victor Furst
- 1900年10月17日自由保守党
(FKP)プロイセン王国首相、バイエルン王国首相、外務大臣
アルザス=ロレーヌ総督
4ベルンハルト・フォン・ビューロー
Bernhard von Bulow1900年10月17日
- 1909年7月14日無所属退役陸軍中尉、プロイセン王国首相、外務大臣
5テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク
Theobald von Bethmann Hollweg1909年7月14日
- 1917年7月13日内務省名誉陸軍中将、プロイセン王国首相、内務大臣
6ゲオルク・ミヒャエリス
Georg Michaelis1917年7月14日
- 1917年10月24日大蔵省プロイセン王国首相、外務大臣
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