ドイツの首相
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東ドイツは、旧来の呼称を使用せず、1949年の憲法では「総理大臣」(Ministerprasident)[2]としたが、社会主義国を宣言した1968年の憲法改正で閣僚評議会議長(Vorsitzende des Ministerrates)[3]に改められた。東ドイツはソ連型一党独裁制国家であり、1989年の民主化まで国政の実権は支配政党であるドイツ社会主義統一党書記長が握っていた。
ドイツ連邦共和国ドイツ連邦共和国初代連邦首相
コンラート・アデナウアー

西ドイツは国号に「連邦」の一語が追加されたのにともない、首相の呼称も北ドイツ連邦にさかのぼる「連邦宰相」(Bundeskanzler)に戻された。

1990年10月3日、西ドイツが東ドイツを吸収合併する形で再統一を達成した後は、そのまま「連邦宰相」(Bundeskanzler)の呼称が使われている。ただし日本では「宰相」という時代がかった表現は、アデナウアーコールに関連して時折、あるいは州首相と並べて論じるとき混同しないよう使うくらいで、「Bundeskanzler」の公式訳も「連邦首相」とするものがほとんどである。
諸外国での表現

日本では、外国の首相に相当する官職を一律に「首相」と呼称しており、現在のドイツ連邦共和国の「Bundeskanzlerin[4]」も、過去のドイツの「Reichskanzler」も、すべて単に「首相」と表記する場合が多い[5]

英語では自国外国を問わず、首相は一律に「Prime Minister」と呼ぶことになっている。ただしドイツの首相だけは伝統的な例外で、ドイツ語を直訳した「Federal Chancellor」、 または単に「Chancellor」と呼んでいる。

ドイツ語では、同じドイツ語圏で連邦制のオーストリアの首相のことも Bundeskanzler(連邦首相)と呼んでいる。そのほかの外国の首相は、各国の政治機構や原語での表現をもとに、「Ministerprasident」(総理大臣)または「Premierminister」(首相)と呼んでいる。
歴代ドイツ首相

所属政党.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{}  無所属 (官僚・軍人)  ドイツ社会民主党 (SPD)  自由保守党 (FKP)  中央党キリスト教民主同盟 (CDU) ・キリスト教社会同盟 (CSU)  ドイツ人民党 (DVP) → 自由民主党 (FDP)  国民社会主義ドイツ労働者党 (NSDAP)  ドイツ社会主義統一党 (SED)

北ドイツ連邦

代連邦宰相の氏名写真在任期間所属政党備考
1
オットー・フォン・ビスマルク
Otto Eduard Leopold Graf von Bismarck-Schonhausen1867年7月1日
- 1871年3月21日無所属陸軍元帥位を有する上級大将
ドイツ国首相、プロイセン王国首相、外務大臣、貴族院議員

ドイツ帝国

代帝国宰相の氏名写真在任期間所属政党備考
1
オットー・フォン・ビスマルク
Otto Eduard Leopold Furst von Bismarck1871年3月21日
- 1890年3月20日無所属陸軍元帥位を有する上級大将
北ドイツ連邦宰相、プロイセン王国首相、外務大臣、貴族院議員
2レオ・フォン・カプリヴィ
Leo von Caprivi1890年3月20日
- 1894年10月26日無所属
(軍人)陸軍歩兵大将、プロイセン王国首相、外務大臣
3クロートヴィヒ・ツー・ホーエンローエ=シリングスフュルスト
Chlodwig Karl Victor Furst

zu Hohenlohe-Schillingsfurst1894年10月29日
- 1900年10月17日自由保守党
(FKP)プロイセン王国首相、バイエルン王国首相、外務大臣
アルザス=ロレーヌ総督
4ベルンハルト・フォン・ビューロー
Bernhard von Bulow1900年10月17日
- 1909年7月14日無所属退役陸軍中尉、プロイセン王国首相、外務大臣
5テオバルト・フォン・ベートマン・ホルヴェーク
Theobald von Bethmann Hollweg1909年7月14日
- 1917年7月13日内務省名誉陸軍中将、プロイセン王国首相、内務大臣
6ゲオルク・ミヒャエリス
Georg Michaelis1917年7月14日
- 1917年10月24日大蔵省プロイセン王国首相、外務大臣
7ゲオルク・フォン・ヘルトリング
Georg von Hertling1917年10月25日
- 1918年10月3日中央党プロイセン王国首相、外務大臣
バイエルン王国首相、外務大臣
8バーデン大公マクシミリアン
Prinz Maximilian von Baden1918年10月3日
- 1918年11月9日無所属
(軍人)バーデン公子、陸軍少将
プロイセン王国首相、外務大臣
9フリードリヒ・エーベルト
Friedrich Ebert1918年11月9日
- 1919年2月13日ドイツ社会民主党

ヴァイマル共和政

ヴァイマル共和政時代の首相についての詳細は、ドイツ国首相を参照。

代首相の氏名写真所属政党内閣在任期間連立与党期
1フィリップ・シャイデマン[6]
Philipp Scheidemannドイツ
社会民主党

(SPD)第1次1919年2月13日
- 1919年6月20日ドイツ民主党
中央党国



2グスタフ・バウアー[7]
Gustav Bauerドイツ
社会民主党
(SPD)第1次1919年6月21日
- 1920年3月26日中央党
3ヘルマン・ミュラー
Hermann Mullerドイツ


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