トーマス・エドワード・ロレンス
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事故死オートバイ(「ジョージ(George)」)に乗るロレンス

除隊から2ヶ月後の1935年5月13日、ロレンスはブラフ・シューペリア社製のオートバイ[3]を運転中、自転車に乗っていた2人の少年を避けようとして事故を起こして意識不明の重体になり、6日後の5月19日に死去した。46歳だった。ロレンスの墓所はドーセット州モートンの教会に現存する。
中東のその後

オスマン帝国はトルコ民族国家のトルコ共和国となり、エジプトシリアイラクアラビア半島マグリブを放棄せざるを得なくなった。これらのトルコ共和国に含まれなかった地域は、西欧諸国の植民地となった後、西欧諸国によって人工的な国境線を決められ独立を果たしたが、4世紀の間続いた「オスマン帝国の平和」は崩れ、現在に至るまで十字軍モンゴル帝国ティムールの襲来以来の政治的混乱が続いている。
人物・エピソード

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ロレンスは生涯独身を貫いた。やもめ暮らしで食事の後片づけを省略するために、ピクニック用の紙製の食器を用いた。

西欧諸国でロレンスは映画『アラビアのロレンス』で描かれているような「アラブ諸国の独立に尽力した人物(アラブ人にとっての英雄)」として認識されているが、アラブ側からは「中東における行動は一貫してイギリスの国益のためのものだった(アラブ側を利用していた)」とする指摘もある。

ロレンスは自伝にて、戦時中に変装し潜り込んだ地で敵に拘束され苦しい拷問の末、快感を覚えるようになったと告白している[4]。しかし、戦争が終わった後に拷問の機会は訪れることは無いため、わざわざ人を雇って自分を鞭で打たせている[5]

ベトナム戦争当時、圧倒的なアメリカ軍の物量の前に、北ベトナム軍や南ベトナム解放民族戦線では一部、ロレンスのアラブでのゲリラ戦が参考にされ、その著書「知恵の七柱」も読まれていたとされている。

無名の一将校から英雄的な存在として広く人々に認識されるようになったものの、本人はその煩わしさに辟易していた面もあったようで度々偽名を用いるなどしていた。また「当代一流の人物」と賞賛される一方で「目立ちたがり」「露出狂」などの非難も多く、毀誉褒貶の激しい人物としても知られている。

探検家のパーシー・フォーセットアマゾンのジャングルに眠る失われた都市Zを求めていた頃、ロレンスは次のZ探索隊に自分を加えて欲しいと彼に頼み込んでいたが、砂漠での経験があるとしてもジャングル探検では実績がないことなどを理由に断られている[6]

著書

『智恵の七柱
(英語版)』

柏倉俊三訳 『知恵の七柱』 平凡社〈東洋文庫〉全3巻、1969-1971年
ロレンス自身により原稿の約25%を削った「簡約版」(初版1926年)

『完全版 知恵の七柱』(ジェレミー・ウィルソン編)
田隅恒生訳注、平凡社〈東洋文庫〉全5巻、2008-2009年。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4582807776 ほか

抜粋版『砂漠の反乱』 柏倉俊三訳(角川文庫、1966年、復刊1989年。改版・角川文庫ソフィア、1994年)

抜粋版『砂漠の反乱』 小林元訳(中公文庫、2001年、改版2014年)ISBN 978-4122059535
 初刊は柏倉・小林共訳『沙漠の叛乱』(地平社(上下)、1942年)


ロレンスを扱った作品
書籍
伝記


『アラビアのロレンス』
中野好夫岩波新書、1940、改訂版1963)/『中野好夫集 7』(筑摩書房、1984) 


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