エジソンの功績はたぐいまれなものがあるが、改良発明も多く、盗作疑惑のあるものや、誹謗中傷を受けたものも多い。これは彼自身の性格に起因する面がある一方、エジソンの遺産相続の紛糾に起因する面もある。
発明の中には、エジソンがゼロから思いついたものなのか、他人のアイデアを改良したものであるのかが、既に分からなくなってしまっているものもある。アメリカの発明家チャールズ・ケタリングの「成功の99パーセントは、いままでの失敗の上に築かれる」という言葉から分かるように、エジソンの発明の「本当に最初の」発明者を決めるのは困難である。 電話機の発明はアメリカ大陸における電信事業を独占していたウエスタンユニオンに依頼されて着手した。その結果、電話に関する特許を得たグラハム・ベルとその後援者たちと対立するにいたる。送話器(マイクロフォン)において、ベルの電磁石を利用したダイナミックマイクに代わって炭素粒を用いたカーボンマイクを採用し、また誘導コイルにより送話距離を延ばしたのはエジソンの功績である。長距離で利用するためには、リー・ド・フォレストが原型を発明した「三極真空管」製品化まで待たなければならなかったが、「エジソン効果」の発見・発明がなければジョン・フレミングによる(三極)真空管の発明が遅れたであろうことは言うまでもない。エジソンは、ベルが電話機の発明者とされたことには最後まで納得がいかなかったとされる。 一方で無線機の発明については、あっさりとグリエルモ・マルコーニに手柄を譲っている。この点は輸出も狙っていたエジソンは上流階級出身者でイギリスやヨーロッパの官庁に強いコネクションを持つマルコーニと正面からけんかをしたくなかったとも、元々はアマチュアで変調などについても知識の浅いマルコーニを敵とすら見ていなかったともされている。そもそも電波については、ジェームズ・クラーク・マクスウェルが予言しハインリヒ・ヘルツが実証した時点で世界中で開発ブームとなったことから、順番争いよりも関連特許取得の競争が重要であった。この点はマルコーニもエジソンもどちらも資本家であることから認識を同じくして、どちら側も買収戦争に参加している。 一般には「白熱電球の発明者はエジソンである」という説が広まっているが、実際に白熱電球を発明したのはジョゼフ・スワンである。エジソンは、フィラメント 映画の発明においてはリュミエール兄弟やオーギュスタン・ルプランスに遅れをとるも、ジョージ・イーストマンの協力により、セルロイド製の長尺フィルムを手に入れることにより巻き返す。エジソンとエジソンの研究所のスタッフが規格化(デファクトスタンダード)した35mmフィルムのスプロケットの規格は現在でも使われている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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