トンマーゾ3世・ディ・サヴォイア
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トンマーゾ3世は1274年に叔父フィリッポ1世の継娘ギヨンヌ・ド・ブルゴーニュと結婚し[2]、以下の5子をもうけた。ギヨンヌはフィリッポ1世の妃ブルゴーニュ女伯アリックスの初婚で生まれた娘であった。

フィリッポ(1278年 - 1334年) - サヴォイア=アカイア家(1285年 - 1418年)の祖[1]

ピエトロ(1332年没)[1] - リヨン大司教

トンマーゾ[1]

アメデーオ[1]

グリエルモ[1]

トンマーゾ3世とフィリッポ1世は治世の大半の1268年から1182年まで対立を続けた。トンマーゾ3世の結婚は、物事を修正しフィリッポ1世にトンマーゾ3世をサヴォイア伯の継承者として受け入れさせるためのものであったが、不首尾に終わった。トンマーゾ3世はトンマーゾ2世の長男であり、サヴォイア家においては系譜的には上位の家系の祖となった。フィリップ1世は遺言において、姪エレオノール・ド・プロヴァンスとその息子イングランド王エドワード1世をサヴォイアの継承者とした。

トンマーゾ3世は1282年にヴィエノワのドーファンであるアンベール1世と国境で争っていたとき致命傷を負い、死去した[3]
脚注^ a b c d e f Cox 1974, p. 462.
^ Cox 1974, p. 463.
^ "A Letter from Lewis of Savoy to Edward I", A. J. Taylor and Lewis of Savoy, The English Historical Review, Vol. 68, No. 266 (Jan., 1953), pp. 58-59.

参考文献

Cox, Eugene L. (1974). The Eagles of Savoy. Princeton University Press 

先代
トンマーゾ2世ピエモンテ領主
1259年 - 1282年次代
フィリッポ1世


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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