トンボ
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オオシオカラトンボなど - メスが水草などに産卵するのを、オスがホバリングしながら上空で見守る。

ルリボシヤンマなど - メスが単独で水草の組織内に産卵。ミヤマカワトンボなどは潜水して産卵する。

ナツアカネ - 雌雄が連結したまま、水辺の低空から卵をばらまく。

オニヤンマ - メスが単独で、飛びながら水底のに産卵。

孵化した幼虫は翅がなくてが長く、腹部の太くて短いものもあればイトトンボのように細長いものもある。腹の内部に鰓(気管鰓)をもち、腹部の先端から水を吸って呼吸を行う。素早く移動するときは腹部の先端から水を噴出し、ジェット噴射の要領で移動することもできる。なおイトトンボの仲間の幼虫には、腹部の先端に3枚の外鰓がある。

幼虫はヤゴと呼ばれ、水中で生物を捕食して成長する。幼虫の下ヒトのように変形しており、曲げ伸ばしができる。先端がかぎ状で左右に開き、獲物を捕える時は下顎へ瞬間的に体液を送り込むことによってこれを伸ばしてはさみ取る。小さい頃の獲物はミジンコボウフラだが、大きくなると小魚やオタマジャクシなどになり、えさが少ないと共食いもして、強いものが生き残る。幼虫の期間は、ウスバキトンボのように1か月足らずのものもいれば、オニヤンマなど数年に及ぶものもいる。

終齢幼虫は水辺の植物などに登って羽化し、翅と長い腹部を持った成虫になる。羽化はセミと同じようにたいてい夜間におこなわれる。羽化の様子もセミのそれと似ている。ただし、トンボの成虫は寿命が数か月ほどと長く、成熟に時間がかかるものが多い。羽化後、かなりの距離を移動するものも知られている。アキアカネなどのアカトンボ類は、夏に山地に移動し、秋に低地に戻ってくるものがある。その後、交尾・産卵を行って死ぬ。さらにウスバキトンボのように海を越えて移動するものも知られる。この種の場合、熱帯域に生活域の中心があるが、夏に次第に温帯域に進出し、それぞれの地域で繁殖しつつ移動して行き、最終的にはそれらがすべて死滅する、いわゆる死滅回遊を行う。

寒冷地ではふつう幼虫で越冬するが、オツネントンボの仲間は成虫で越冬する。
人間との関係

中国の影響で[3]、精力剤となるというふれこみで漢方薬として服用された。

幼生期には水中の害虫、成虫期には空中の害虫を捕食するため益虫として扱われる[誰?]。特にに対してはボウフラと成虫の両方を捕食するため大きな天敵となっている。また卵で越冬し、幼生期を水中で過ごし、成虫期を陸上(空中)で過ごすところから水田の環境と合致し、に対する害虫をよく捕食する。

他方、害虫となる例はほとんど無いが、ムカシトンボワサビの、オオアオイトトンボがクワコウゾなどの若枝に産卵するのが栽培農家に害を与える例が知られる。特に後者は一部の枝に産卵が集中するために枝を枯らす場合があり、養蚕農家にとってそれなりに重要である。かつての書物にはその駆除法が記されたものもあった[4]
文化の中のトンボ
日本語名称

日本では古くトンボを秋津(アキツ、アキヅ)と呼び、親しんできた[5]。古くは日本の国土を指して秋津島(あきつしま)とする異名があり[5]、『日本書紀』によれば、山頂から国見をした神武天皇が感嘆をもって「あきつの臀?(となめ)の如し」(トンボの交尾のよう(な形)だ)と述べたといい、そこから「秋津洲」の名を得たとしている[6]

また『古事記』には、雄略天皇の腕にたかったアブを食い殺したトンボのエピソードがあり、やはり「倭の国を蜻蛉島(あきつしま)と」呼んだとしている。み吉野の 袁牟漏が岳に 猪鹿(しし)伏すと 誰ぞ 大前に奏(まを)す
やすみしし 我が大君の 猪鹿(しし)待つと 呉座にいまし
白栲(しろたへ)の 衣手着そなふ 手腓(たこむら)に 虻かきつき
その虻を 蜻蛉早咋ひ かくの如 名に負はむと
そらみつ 倭の国を 蜻蛉島とふ

方言においては、「あきつ」「あきず」「あけず」「あけす」「あけーじょ」「はけーじゃ」「とんぷ」「どんぼ」[7]、などの語形が東北から南西諸島に至る各地で見られる[8]

トンボの語源については諸説あり、たとえば以下のようなものがある[9]

「飛羽」>トビハ>トンバウ>トンボ

「飛ぶ穂」>トブホ>トンボ

「飛ぶ棒」>トンボウ>トンボ

湿地や沼を意味するダンブリ、ドンブ、タンブ>トンボ

秋津島が東方にある地であることからトウホウ>トンボ

高いところから落下して宙返りのツブリ、トブリ>トンボ

なお、漢字では「蜻蛉」と書くが、この字はカゲロウを指すものでもあって、とくに近代以前の旧い文献では「トンボはカゲロウの俗称」であるとして、両者を同一視している[5]。例えば新井白石による物名語源事典『東雅』(二十・蟲豸)には、「蜻蛉 カゲロウ。古にはアキツといひ後にはカゲロウといふ。即今俗にトンボウといひて東国の方言には今もヱンバといひ、また赤卒(赤とんぼ)をばイナゲンザともいふ也」とあり、カゲロウをトンボの異称としている風である。

日本語ではトンボが身近な生物であったため、さまざまな事物に「トンボ」の名がつけられている。これについてはトンボ (曖昧さ回避)を参照のこと。
トンボの民俗
日本

水田食害を起こす害虫を食べるため、古来より益虫として親しまれてきた。弥生時代銅鐸にもトンボが描かれたものが多数存在している[10]。トンボは前にしか進まず引くことを知らないという説や、雄略天皇を刺したアブを飛来したトンボが咥えて飛び去ったという日本書紀の逸話から、日本では攻撃性が高く勇敢という「勝ち虫」のイメージが広まり、その性質にあやかろうと縁起物として武士に好まれた[11]。特に戦国時代にはなどの武具、陣羽織印籠の装飾に用いられた。前田利家は兜の前立に蜻蛉を用いていた。本多忠勝蜻蛉切とよばれる長さ2丈(約6m)におよぶという長槍を愛用した。その名の由来は蜻蛉が穂先に止まった途端に真っ二つに切れてしまったという逸話にちなんでいる。

目的地まで来てすぐに引き返すことを、空中で素早く身を翻すトンボにたとえ「蜻蛉返り」と表現する[12]

トンボ取りは子供の遊びである。目玉の大きいトンボの目の前で、指を回して目を回させようとするのは、実際の効果は高くない。戦前は竹竿の先にトリモチをつけてとるのが一般的だったようだ。また、小さな石を糸の両端に結びつけ、これを投げ上げる方法も伝えられている。トンボが小昆虫と間違えて接近すると糸が絡まって落ちてくる、というものである。竹を削った玩具で竹とんぼも古くから子供の間で親しまれている。

形がカタカナの「キ」に似ていることから、キザ(気障)のことを「トンボにサの字」と言ったりする(仮名垣魯文の『安愚楽鍋』弐編上に用例あり)。

相撲界の隠語に「とんぱち」という言葉がある。これは「トンボに鉢巻き」の略で、トンボに鉢巻きをすると何も見えなくなるというイメージから転じて「目先がきかない者」「何をしでかすか分からない者」を指す。北陸地方では、探しものが下手な者を「目トンボ」と言い習わす。
西洋

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}西洋においてはトンボは基本的には不吉な虫と考えられた。英名を dragonfly というが、ドラゴンはその文化において不吉なものということを考えると得心がいく。[要出典]一方で、イトトンボ類には damselfly (ダムゼルフライ、damsel は乙女の意)といった優雅な呼称もある。

ヨーロッパでは「魔女の針」などとも呼ばれたり、その翅はカミソリになっていて触れると切り裂かれるとか、嘘をつく人の口を縫いつけてしまう、あるいは耳を縫いつけるという迷信もあった。魔女の針という名称はこの「縫いつける」という迷信と関連づけられた事によってつけられたらしい。また、トンボが刺すという誤解も広く流布しているようである。また、「ヘビの先生」との名もあり、これは危険が近づいていることをトンボがヘビに教える、という伝承による[13]
創作におけるトンボ

花鳥画の伝統をもつオリエンタリズム、またとりわけジャポニズムの影響のもと、近代に入って西洋美術でも虫や草花を主題とした作品が多数作られるようになったが、「蜻蛉」を主題とした作品を多数生み出した作家としては、アール・ヌーヴォーの旗手であった工芸作家・エミール・ガレがとりわけよく知られている。下に図示したような木工作品のほか、ガレは蜻蛉をモチーフとしたガラス器類を多数制作した。ある作品には「うちふるえる蜻蛉を愛する者これを作る」との銘を刻み込みさえしたという[14]


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