トロント
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2016年の都市圏人口は624万人[2]。オンタリオ湖西岸を囲むゴールデン・ホースシュー(Golden Horseshoe)と呼ばれる都市化された地域の人口はおよそ924万人とされる。

またヒューロン語で「集まる場所」という意味がある。1834年までの旧名はヨーク(Town of York)。
概要

トロントはカナダ経済の商都であり、金融経済電気通信航空宇宙運輸メディア芸術映画テレビ局出版ソフトウェア、医療研究、教育観光スポーツなどの産業基盤が発達している。国内企業の本社や多国籍企業が多く入っており、世界第6位の規模を持つトロント証券取引所(TSX)がある[3]

トロントには様々なスポーツのプロチームが本拠を構えており、トロント・メープルリーフスNHL)やトロント・ブルージェイズMLB)、トロント・ラプターズNBA)、トロント・アルゴノーツCFL)、トロントFCMLS)などがある。

超高層ビルが林立する大都会で、100mを超える超高層ビルが538棟と世界の都市で4番目に多い[4]。かつて世界で最も高い建物であったCNタワーは、トロントの遠景を象徴する建築物になっている。

文化面でも国際的に重要な役割を果たしており、世界クラスの博物館美術館劇場、フェスティバルなどが多くある。

海外から移民投資を多く受け入れていて急速に発展しているトロントは、多文化的かつ人口構成も国際色豊かである。犯罪発生率は低く、街は清潔で、人々の生活水準も高い。また2019年には世界の主要大都市でトロントは6番目に安全だと評価されている[5]

また、トロントに住む人々は「トロントニアン(Torontonian)」と呼ばれる。ただし狭義ではトロントで生まれ育った人々のみを指す。

アメリカのシンクタンク2017年に発表した総合的な世界都市ランキングにおいて、世界14位の都市と評価された[6]。カナダの都市では首位である。
歴史詳細は「トロントの歴史(英語版)」を参照
地名について

「トロント」の地名は、ヒューロン族の言葉で「人が集まる場所」を意味する言葉に由来するとされる説が一時有名であったが、本来、言語学的にはモホーク族の言葉で「水の中に木が立っている場所」を意味する「tkaronto」を由来とし、フランス人探検家や地図制作者を介してトロントになったとされる[7]。地勢的にはトロント北部のシムコー湖にヒューロン族が魚を囲い込むために苗木を植えたオリリア市の辺りを起源とする。当時、オンタリオ湖からヒューロン湖の陸路輸送ルートであったこの辺りでは広く使われていた地名であった。
19世紀以前

ヨーロッパからの入植が見られる以前からトロント周辺地域には紀元前1500年前にイロコワの部族から土地を占領した先住民ヒューロン族が定住していた。トロントの地図(1894年)

1750年にフランス人商人によって交易所「フォート・ルイユ」(Fort Rouille[8])が設立されたが、1759年には使われなくなった。アメリカ独立戦争の際、英国王党派の流入が多く見られ、未入植の地であったオンタリオ湖岸の北部への入植が進んだ。1787年イギリスはオンタリオ湖北部の土地を所有するミシサガ族と交渉し、わずかな資金で購入することに成功した[9]

1793年アッパーカナダ初代副総督であったジョン・グレイブス・シムコー(John Graves Simcoe)によってすでにあった入植地の上に町が設立され、ヨーク・オールバニ公の名から町名をヨークと名づけられた。そして、シムコーはアッパーカナダの首都をニューアーク(現在のナイアガラオンザレイク)よりアメリカからの攻撃にさらされにくいであろうと考えられたヨークに遷都することを決めた。細長く延びる砂州によってできた天然港の入口に要塞である「フォートヨーク」が建設された。町の入植は現在のパーラメント通りとフロント通りの近く、半島の背後にあたる港から東部の辺りに設立された。
19世紀

1813年米英戦争の最中、ヨークの戦いで町はアメリカ軍に占拠略奪された。町の明け渡し交渉は、ジョン・ストラッチャン(John Strachan)によって行われたが、アメリカ軍の兵士は5日間の占領期間の間にヨーク砦を破壊し、国会議事堂に火を放った。

1834年3月6日、人口わずか9,000人であったがヨークの町は市制となり、名称を「トロント」へ改称した。初代トロント市長は急進的改革派の政治家ウィリアム・ライアン・マッケンジー(William Lyon Mackenzie)が就任した。彼は後の1837年に起きたアッパーカナダの反乱で、イギリス植民地政府であるアッパーカナダを相手に武装蜂起し、反乱軍を指揮したがあえなく敗退し、アメリカへ亡命することとなる。以後19世紀の終わりにかけて、トロントはカナダの代表的な移民先となり、急速に発展を見せた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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