トルクメン人
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トルクメン人の間ではスンナ派イスラム教が信仰されているが、シャリーア(イスラーム法)は厳格に遵守されておらず、アダット(慣習法)が守られている[11]。土着の信仰と合わさったスーフィズム(神秘主義思想)の影響力も強く、有力なシャイフの一族は聖氏族(オヴラト)として特権的な地位を得ていた[15]

トルクメン人は木にフェルトを張ったユルトを住居とし、定住生活を送るようになった後もユルトは夏季の住居として使用されている[21]。ユルトが並ぶトルクメン人の集落はアウル(Aul)と呼ばれ、姻戚関係で結ばれている大家族の集団で構成されている[22]

トルクメン人は本来遊牧民だったが、17世紀半ばから半遊牧生活に移行してオアシス地域に居住するようになり、灌漑による農耕、牧畜、手工業などで生計を立てていた[11]。一つの集落に牧畜民(チャルワ)と定住農耕民(チョムル)が共存し、西部地域にはヒツジラクダを飼う半遊牧民が多く住んでいた[10]。バルカン(バルハン)山脈(英語版)に居住するトルクメン人は農耕をほとんど行わず、砂漠地帯で遊牧を行うトルクメン人は井戸の周囲の草地に生える牧草を家畜に与え、冬と春に蓄えた雨水を飲料水として利用していた[23]。家事は女性に委ねられ、家畜の世話、畜産物の加工、毛織物の生産といった家計を支える重要な仕事を担うトルクメン人女性は近隣の定住者の農民や商人の女性よりも社会的地位が高く、多くの自由を得ていた[24]。男性の主な仕事は牧草地と井戸の管理、遊牧の先導、家畜と領域の護衛で、それらの仕事には馬が不可欠だった[24]。ソビエト連邦時代のトルクメン人は綿花ブドウ、野菜などの栽培や乳牛の飼育に従事していた[10]

初期のトルクメン人は部族民が選出した名目上の代表者(ハン)を置いていたが、やがて世襲制の君主が部族集団を率いるようになった[25]。1880年代までのトルクメン人社会には純血(イグ)、奴隷(グル)、女奴隷(ギルナク)、自由人と女奴隷の子(ヤルィム)からなる身分制度が存在し、グルの子孫は7代後にイグとなることを認められていた[10]。かつてトルクメン人がイランなどで行っていた家畜・財産・住民の略奪行為はアラマンと呼ばれ、トルクメン人のイラン化の進展に大きな役割を果たしたと考えられている[10]。18世紀から19世紀のテケ部族の男性の多くはトルクメン人の妻のほかに、アラマンで獲得した1-2人のギルナクを妻妾としていたといわれている[10]
衣服テルペクを着用した男性装身具

トルクメン人の男女はバラクと呼ばれるズボンとクイネクと呼ばれるシャツを伝統的な衣服として着用している。生後間もない頃から死ぬまで着用する縁無しの帽子はタヒヤと呼ばれ、男性は外出時にテルペクと呼ばれる羊毛の帽子をタヒヤの上に被る[26]。また、かつてはターバンも着用されていた[26]。伝統的な衣服は主に年配者が着用し、若い女性は民族衣装を部分的に取り入れ、若い男性は洋服を着用している[27]

男性の場合、外出の際にシャツの上からチャパン(チャパンス)と呼ばれるマントを羽織る[28]。チャパンは色、素材、模様によって名前が変わり、ドン、チェクメン、イチメク、ポストゥンなどの名前でも呼ばれている。バラクを締める帯はグシャクと呼ばれ、かつては花嫁が花婿のために作ったグシャクを贈る習慣があった[26]短剣は男性の民族衣装の一部と見なされており、セイウチの骨で作られた柄と部族独自の文様が掘られた鞘からなり、イランの都市の工房で作られたものが多い[29]。トルクメン人の男性用の靴は底が柔らかい長靴のメシ、メシの上から履くカヴシという靴の二種類がある。ほか、爪先がとがった革靴のチョカイ、牧夫用のエルケン、チェペク、踵の高い乗馬用のエジクなどの靴がある[26]

トルクメン人の女性も男性と同様にズボンを着用するが、裾口を狭くしてサソリやヘビが服の中に入り込むことを防いでいる[26]。女性は結婚と同時に頭を頭布や帽子で覆い隠し、髪を2-4本のお下げに編んで頭の両側に垂らすようになる[30]。外出時はチャブイトと呼ばれる上着や被衣をまとって頭と体を覆い隠し、被衣にはテケ部族のチルプイ、ヨムート部族のプーレンジェクなどの衣服が知られている[31]。細やかな刺繍が施されたチルプイの制作には手間がかかり、ロシア革命、それに続く工業化によって家庭の女性の社会進出が進展すると、袖に腕を通して着るクルテと呼ばれる簡素な被衣が使われるようになる[32]。女性の間では赤色が好まれているが、テケ部族の女性は赤地にくすんだ黄の縞模様が入った布地を使い、またヨムート部族の女性は紫色や暗緑色を好んでいる[30]

トルクメン人の間では装身具が高い価値を持ち、20世紀に入っても貨幣は装身具に加工しない限り無価値なものと見なされる状態が長く続いていた[22]。また、女性の頭部を強調する装身具や子供の衣服に付けられる装身具には、災いをもたらす邪視をそらす役割があると信じられている[33]。富裕層の若い女性は多くの装身具を身に付けているために身動きが取りにくく、花嫁が身に付ける装身具の総重量は17kgに達していたと記されている[24]


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