トリーア選帝侯
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

13世紀になって、これに式部長[注 2]であるザクセン公ザクセン選帝侯)と侍従長[注 3]であるブランデンブルク辺境伯ブランデンブルク選帝侯)、献酌侍従長[注 4]であるボヘミア王ベーメン王)が加わり選帝侯は7名となった。これらの資格や選挙手続きは金印勅書で定められている[1][2][3]

17世紀にはプファルツ選帝侯に替わってバイエルン公バイエルン選帝侯)が加わった[4][5]。「プファルツ選帝侯」位はまもなく復活したが、形式としては「新設」の形をとっており、8選帝侯の中で最下位に位置づけられた[5]。さらにブラウンシュヴァイク=リューネブルク公ハノーファー選帝侯)も加わった[4][6]

聖職者であるマインツ大司教、ケルン大司教、トリーア大司教を三聖界選帝侯(聖界諸侯)、世俗の領邦君主である選帝侯を世俗選帝侯(世俗諸侯)などとも言う。聖界諸侯と世俗諸侯の最大の違いは、聖界諸侯位は世襲が行われない点にある。そのため相続による騒動や領土の分割は発生せず、長い神聖ローマ帝国の歴史のなかでも、世俗諸侯領に比べて安定していた。大司教が死ぬなどして退くと、聖堂参事会による選挙が行われ、ローマ教皇の承認を経て新しい大司教が叙任される[7]。さらに神聖ローマ皇帝の承認によって選帝侯位が授けられる[注 5]

実際の選挙が行われる際には、トリーア大司教は7名のうち最初に投票を行うことになっている[2][注 6]

18世紀にはプファルツ選帝侯位が廃止され[注 7]、19世紀にはトリーア選帝侯位が消滅し、ザルツブルク選帝侯バーデン選帝侯、ヴュルテンベルク選帝侯、ヘッセン=カッセル選帝侯位が新設された[6]
トリーア大司教位

詳細は
トリーア大司教およびde:Bistum Trier(トリーア司教区)を参照。

歴代トリーア選帝侯

就位年退位年名前出自ドイツ名
11891212ヨハン1世 Johann I.

12121242テオドリッヒ2世ヴィート家Theoderich II.
12421259アルノルト2世イーゼンブルク家 Arnold II. (von Isenburg)
12601286ハインリヒ2世 Heinrich II. (von Finstingen)
12861299ボエムント1世  Boemund I. (von Warsberg)
13001307ディーターナッサウ家Diether (von Nassau)
13001306ハインリヒ2世
(※対立司教) Heinrich II. (von Virneburg)
13071354バルドゥイン[8]ルクセンブルク家Balduin
13541361ボエムント2世 Boemund II. (von Saarbrucken)
13621388クーノ2世 Kuno II. (von Falkenstein)
13881418ヴェルナー Werner (von Falkenstein)
14181430オットー Otto (von Ziegenhain)
14301438ラバン Raban (von Helmstatt)
14391456ヤーコプ1世 Jakob I. (von Sierck)
14561503ヨハン2世バーデン家Johann II. (von Baden)
15031511ヤーコプ2世バーデン家Jakob II. (von Baden)
15121531リヒャルト[9]グライフェンクラウ家Richard
15311540ヨハン3世 Johann III. (von Metzenhausen)
15401547ヨハン4世 Johann IV. (von Hagen)
15471556ヨハン5世イーゼンブルク家Johann V. (von Isenburg)
15561567ヨハン6世 Johann VI. (von der Leyen)
15671581ヤーコプ3世 Jakob III. (von Eltz)
15811599ヨハン7世 Johann VII. (von Schonenberg)
15991623ロタール Lothar (von Metternich)
16231652フィリップ・クリストフ Philipp Christoph (von Sotern)
16521676カール・カスパール Karl Kaspar (von der Leyen)
16761711ヨハン8世 Johann VIII. (von Orsbeck)
17111715カール・ヨーゼフロートリンゲン家Karl III. Joseph (von Lothringen)
17161729フランツ・ルートヴィヒプファルツ=ノイブルク家Franz Ludwig (von Pfalz-Neuburg)
17291756フランツ・ゲオルク Franz Georg (von Schonborn)
17561768ヨハン9世フィリップ Johann IX. Philipp (von Walderdorff)
17681801クレメンス・ヴェンツェル ザクセン家Clemens Wenzeslaus (von Sachsen)

トリーア大司教も参照。

2世紀から21世紀までのトリーア司教のリストは下記参照。

en:Roman Catholic Diocese of Trier#Ordinaries

de:Liste der Bischofe von Trier


脚注
注釈^ 皇帝のパレードで地球儀を掲げ持つ[1]
^ 皇帝のパレードで剣を掲げ、皇帝を先導する[1]
^ 皇帝のパレードで王笏を掲げる[1]
^ 皇帝が臨席する祝宴では、ボヘミア王(献酌侍従長)が皇帝へ最初の盃を渡す[1]
^ 基本的にはトリーア大司教が自動的にトリーア選帝侯となるが、教皇の承認と皇帝の承認のタイミングによっては在任期間にずれが生じることもある。たとえば16世紀前半のトリーア大司教リシャートは、1512年4月にトリーア大司教に就任したが、選帝侯位が承認されたのは8月になってからだった
^ ドイツにおける聖職者の序列ではマインツ大司教が1位である。皇帝選挙ではマインツ大司教は投票の進行役であり、投票順は7名の最後である。すなわち、投票が3対3だった場合にはマインツ大司教が皇帝を決定することになる[2]
^ ライン宮中伯(プファルツ選帝侯)がバイエルン公(バイエルン選帝侯)位を相続したことによる。

出典^ a b c d e f 『ドイツ三〇〇諸侯 一千年の興亡』p26-29「聖界諸侯」
^ a b c d 『ドイツ史1』p315-316「選挙侯と選挙手続き」


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:20 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef