トリパラディソスの軍会
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フリュギア、リュカオニア、パンヒュリア、リュキアはアンティゴノスに[7]。
パタラを含むインダス川以降の国々の支配者にはポロスが、ヒュダスペス川あたりはタクシレスが引き続き就任した。これはアレクサンドロスにより領土を安堵され、領土を増やしたポロス、タクシレスを追い出すことが簡単でないという問題を配慮したためである。
脚注^ 尚、他にトリパラディソスの軍会を扱った史料としてポリュアイノスの『戦術書』(IV巻六章(アンティゴノス伝)四節)があるが、決定事項の記載は皆無である。一方、ユスティヌスの『地中海世界史』(XIII巻八節)では、アンティゴノスがエウメネスをはじめとするペルディッカス残党討伐の責任者に就任にしたことのみ言及している。
^ アリアノス史料にのみ記されている。
^ 彼はトリパラディソス軍会の直前にペルディッカスによって、同地太守に任命されている。(ユスティヌス『地中海世界史』XIII巻六節)従って、留任ともとれる。
^ デクシッポスの史料では、バビロン会議時でセレウコスがバビロニア太守に任命されているが、ディオドロスとユスティヌスの史料では全軍総司令官であった。
^ ユニアヌス・ユスティヌスの史料に従うと、彼はバビロン会議から変更が無いため、留任ということになる。
^ デクシッポスの史料では、バビロン会議時でカルマニア太守にネオプトレモスが就任している。
^ ただしユスティヌスによればリュキアとパンヒュリアの前任者はネアルコスである。
参考文献
ポンペイウス・トログス / ユスティヌス抄録『地中海世界史』
合阪學 訳、京都大学学術出版会<西洋古典叢書>、2004
ポリュアイノス『戦術書』 - 第4巻(ディアドコイ時代の戦術)
戸部順一訳、国文社<叢書アレクサンドリア図書館>、1999
Diodurus Siculus, The Library of History, XVIII~XIX.(Loeb Classical Library No.423 ,translated by Russel M.Geer, Cambridge, Mass)
アリアノスやデクシッポスについては右のURLに基づいた。 ⇒[1]
関連項目
バビロン会議
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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