トランプ
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馬弔(マーディアオ)」は、今日の「麻雀(マージャン)」の元となった遊戯である[3]。明の成化年間の陸容 (1466-1494)『菽園雑記』の記すところによると[4]、当時の昆山で一種のカードゲームが流行しており、カードの総数は38枚であって、一銭から九銭・一百から九百・一万貫から九万貫・二十万貫から九十万貫・百万貫・千万貫・万万貫からなっていた。「糸巻き」の様に見える図柄は、「銭の穴に糸を通した束」で、「サイコロの目」の様に見える図は「銭を正面から見た図」である。一万貫以上のカードには『水滸伝』中の二十人の絵が描かれており万万貫は宋江・千万貫は武松等となっていた(ただし「混江竜李進」と「混江竜李海」が別人として存在するなど、現行の水滸伝とは名前が多少異なっている)。当時の人はこの種のカードを「葉子」と呼び、葉子を使ったカードゲーム自身のことは「葉子戯」と呼んでいた。今では水滸牌と呼ぶことが多い。
アラブのカード


貨幣の6・ポロの4・カップのキング

トプカプ博物館所蔵の15世紀ごろのマムルーク朝のカードは、偶像崇拝に抵触しないように、絵札には人物は書かれておらず、かわりに文字で説明がされている。このためスート名と絵札の名前が判明している。完全な形で残っているわけではないが、ダラーヒム(=貨幣)、トゥーマーン(=カップ)、スユーフ(=刀剣)、ジャウカーン(=ポロ競技用のスティック)の4つのスートがあり、各スートには1から10までの数札とマリク(=王)、ナーイブ(=総督)、ナーイブ・サーニー(=第二総督)の3種類の絵札があったと考えられている。カップのスート名「トゥーマーン」はトルコ語で「万」を意味する語であり、中国の紙牌のスートである「萬子」との関連性が考えられる。ウィリアム・ヘンリー・ウィルキンソンは、漢字の「万」を上下逆さまにした形がカップになったと推測している[5]
欧州への伝来1500年頃の3枚の遊戯カード(スペイン)

起源が定まっていないことから欧州への伝来についても諸説あるが、少なくとも14世紀には欧州各地に記録が見られることから相当数広まっていたと考えられる。欧州に最初にトランプが出現したのは14世紀前半のイタリアとされているが、スペイン説も有力。カードの構成は当時のアラブのカードのデザインを襲用している。ただし、スートのうち「ポロ用スティック」は、欧州においてはポロ競技に馴染みがなかったことから、イタリアでは儀式用の、スペインでは棍棒に変化した。

15世紀も後半になると、フランスではスートがダイヤ(?)スペード(?)ハート(?)クラブ(?)に変わり、絵札の騎士女王と差し替えられた。valet, dame, roi となった。

このフランススタイルがイギリスに渡り、valet が jack に、dame が queen に、roi が king になり、英語圏に広がってゆくことになった。

フランスにおいて、フランス革命期には、王は守護神 (Genie)、女王は自由 (Liberte)、ジャックは平等 (Egalite) に置き換わった。これは王政復古くらいまで続いた。
日本のトランプの歴史
名称について

現代日本語では「トランプ」と呼ぶ。トランプとは"切り札"という意味があり明治時代、入国した欧米人がゲームをしながら「トランプ」という言葉を何度も発していた為、日本人はそれをカードの名称だと勘違いしたものと言われる[要出典]。
伝来から明治時代まで

日本では16世紀に、ポルトガルからラテンスートのトランプが伝来した。48枚の札からなっており、ポルトガル語のcarta(カルタ) がそのまま日本語になり、ひらがなで「かるた」と書かれたり、漢字では「賀留多」「歌留多」「紙牌」などと書かれた。1597年長宗我部元親が「博奕かるた諸勝負」を禁止していることから、この頃には既にカルタが相当流行したものと考えられる。また1634年の角倉船の絵馬にはトランプをしている男女の絵がある。

ポルトガルから伝わったカルタをもとに日本で作られたカルタは天正かるたと呼ばれる。天正かるたはその最初の札に「天正金入極上仕上」と記してあったことから、後世そのように呼ばれた。天正かるたの枚数を増やしたうんすんカルタの名前は17世紀後半の『雍州府志』や大田南畝の『半日閑話』などに見ることができる。これら西洋カルタ系統のものは早くから賭け事に使われ、江戸幕府でもかるたの賭け事をしばしば禁じた。株札花札などは、いずれもこの系統のカルタから変化したものである。

また、日本古来より存在した歌貝(貝あわせ)などを発展させ、札を西洋かるたの様式にして作られた百人一首などのカルタは系統が異なるものである。

なお、江戸時代にはフランス式(英米式)のスートも一部の学者には知られていた[6][7]

トランプが再び盛んに行われるようになるのは明治時代になってからである。トランプの名は1885年に出た桜城酔士の「西洋遊戯かるた使用法[8]」に見られ、カードのゲームと奇術(マジック)が紹介されている。明治では最初、米国やイギリスから輸入されていたが、やがて(英米式で)国産品もつくられるようになった。
山内任天堂による国内生産

山内任天堂(任天堂の前身)は、1904年(明治37年)から1905年(明治38年)にかけての日露戦争時に、愛媛県松山市内に開設されたロシア軍捕虜の収容所で捕虜の無聯を慰めるため、政府からの依頼を受けてトランプの製造を開始したという伝説が存在する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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