トヨウケビメ
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即ち、元々は丹波の神[注 2]ということになる[2]

丹後国風土記』逸文には、奈具社の縁起として次のような話が掲載されている[1]。丹波郡比治里の比治山頂にある真奈井で天女8人が水浴をしていたが、うち1人が老夫婦に羽衣を隠されて天に帰れなくなり、しばらくその老夫婦の家に住み万病に効く酒を造って夫婦を富ましめたが、十余年後に家を追い出され、漂泊した末に奈具村に至りそこに鎮まった[3]。この天女が豊宇賀能売命(とようかのめ、トヨウケビメ)であるという[1]

尚、『摂津国風土記』逸文に、 止与宇[注 1]可乃売神は、一時的に摂津国稲倉山(所在不明)に居たことがあったと記されている[注 3][1]。また、豊受大神の荒魂(あらみたま)を祀る宮を多賀宮(高宮)という(外宮境内社)。
信仰・祭祀

丹波、但馬の地名の起源として、豊受大神が丹波で稲作をはじめられた半月形の月の輪田、籾種をつけた清水戸(せいすいど)が京丹後市峰山町比沼麻奈為神社がある)にあることから、その地が田庭と呼ばれ、田場、丹波へと変遷したという説がある。付近の久次嶽中腹には大神の杜があり、天の真名井の跡とされる穂井の段(ほいのだん)がある。また、神社の縁起は、大饗石(おおみあえいし)と呼ばれる直方体のイワクラであると言われている。

福知山市大江町には元伊勢豊受大神社がある[1]。元伊勢内宮より南方の船岡山に鎮座する社で、藤原氏の流れである河田氏が神職を代々継承している。崇神天皇の御世、豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)が天照大神の御杖代として各地を回るときに、最初の遷座地が丹後であった。その比定地はいくつか存する。

伊勢神宮外宮(三重県伊勢市[1]、奈具社(京都府京丹後市)[1]籠神社(京都府宮津市)奥宮天真奈井神社[1]比沼麻奈為神社(京都府京丹後市)、十市御縣坐神社奈良県橿原市)で主祭神とされているほか、神明神社の多くや[2]、多くの神社の境内社で天照大神とともに祀られている。また、穴守稲荷神社東京都大田区)のようにトヨウケビメを祀っている稲荷神社もある[2]

中世に入り外宮の神職である度会家行が起こした伊勢神道(度会神道)では、豊受大神は天之御中主神国常立神と同神であって、この世に最初に現れた始源神であり、豊受大神を祀る外宮は内宮よりも立場が上であるとしている。
祀る神社

豊受大神宮三重県伊勢市) - 神宮の外宮

穴守稲荷神社東京都大田区

神明宮静岡県掛川市

神明宮(静岡県掛川市)

籠神社京都府宮津市

比沼麻奈為神社(京都府京丹後市

市場稲荷神社大阪府泉南市

十市御縣坐神社奈良県橿原市

榊山稲荷神社岩手県盛岡市

大宮神社 (盛岡市)岩手県盛岡市

脚注[脚注の使い方]

注釈^ a b この字は正確には「口偏に宇」と書く
^ この場合の「丹波」は律令制の下で丹後国但馬国が分離する以前の地域を指す。丹波国の名の由来である丹波郡は律令制の下では丹後国に属していた。
^ 丹後国比治里に住むより以前に摂津にいて摂津稲倉山から丹後へきたというのは誤解であり、原文には丹後に『還』ったとある。

出典^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 薗田稔、茂木栄 『日本の神々の事典 神道祭祀と八百万の神々』 学研、68,69頁。
^ a b c d e 戸部民夫 『八百万の神々 日本の神霊たちのプロフィール』 新紀元社、91,109-111頁。
^ 川口謙二『日本の神様読み解き事典』柏書房、1999年、174頁。

関連項目

日本の神の一覧

日本の神の家系図

中世日本紀

外部リンク

登由宇気神 - 國學院大學 古事記学センターウェブサイト










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