トム・ヨーク
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Dr. Tchock[5][6]

生誕

(1968-10-07) 1968年10月7日(55歳)

イングランドノーサンプトンシャー

ジャンル

オルタナティヴ・ロック[7]

エクスペリメンタル・ロック[7][8]

エレクトロニカ[7]

職業

ミュージシャン

シンガーソングライター

作曲家

担当楽器

ボーカル

ギター

ピアノ

活動期間1985年 -
レーベルXL
共同作業者

レディオヘッド

アトムス・フォー・ピース

ザ・スマイル

著名使用楽器


ギブソン・SG

フェンダー・ジャズマスター

ギブソン・ハミングバード

フェンダー・テレキャスター・デラックス

ギブソン・ES-330

エピフォン・カジノ

ローズ・ピアノ

フェンダー・ムスタングベース

トーマス・エドワード・ヨーク(英語: Thomas Edward Yorke、1968年10月7日 - )は、イギリス出身のミュージシャンオルタナティヴ・ロックバンド「レディオヘッド」のボーカルギターピアノ他多くの楽器演奏とソングライターを務める。ソロアーティストとしても活動。2006年にはソロデビューアルバム『ジ・イレイザー』("The Eraser")をリリース。2009年には新バンド「アトムス・フォー・ピース」"Atoms for Peace"をナイジェル・ゴッドリッチレッド・ホット・チリ・ペッパーズフリーらと結成し、さらに活動の幅を広げている。

2002年の『Q』誌において「最も精力的なイギリス人ミュージシャンの一人」に選出、「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第13位に選出された[9]

2005年の『ブレンダー』誌における「歴代の偉大なポピュラーミュージック・シンガー投票」で18番目に選出されている。

2008年の『ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー』の第66位に選出された[10]
生い立ち

1968年10月7日、イングランドのノーサンプトンシャーに生まれる。生後間もなく、原子物理学者を経て化学関係に勤めていた父グレアムの仕事の関係でスコットランドに転居した。生まれた時、左目は完全に麻痺していた。「僕の瞼は閉じたままで、誰もが一生このままだと思ってた。その後ある専門医が義眼みたいに筋肉を移植できる事を思いついた。そして僕は生まれて間もなくから6歳までの間に大きな手術を5回受けたんだ。でも彼らは最後の手術をしくじりやがった。それで僕の目は半分見えなくなったんだ」と本人はインタビューで語っている。半年に2回の引っ越しと、年中付けている眼帯で、子供の頃のストレスは相当なものだった。

1976年、父の仕事の関係でイングランド南部へ再び転居した。8歳の誕生日に安いスパニッシュ・ギターをプレゼントされる。人生で初めて熱中した楽器となり、短期間だがギタースクールにも通った。1978年、引っ越し続きだった一家は、ようやくオックスフォードに落ち着く。1980年まで、オックスフォード、ウィットニーのスタンドレイク聖公会小学校に通った。後に弟のアンディ・ヨークも入学した。母バーバラは教師で、その学校の教壇に立っていた。

1978年、10歳でスクールの友達と生まれて初めてバンドを結成。楽器が出来るのがそもそもトムだけで、「バンドというよりギターの配線を面白おかしくして燃やしたりする科学グループ」(Q誌)だったらしい。1979年、11歳で生まれて初めて作曲を行う。曲名は「Mushroom Cloud」で、原子爆弾の爆発を歌った曲。「(きのこ雲の)恐ろしさではなく、ただ単純にその見た目について書いた曲」と、後年インタビューで話している。(1998年Opinion誌)
レディオヘッド結成

1981年、男子全寮制のパブリックスクールであるアビントン・スクールに入学した。1982年コリン・グリーンウッドらスクールの友人達とパンクバンド「TNT」を結成した。その後、コリンとトムの2人は隙を見て脱退した。1985年エド・オブライエンをギターとして勧誘し、3人をオリジナル・メンバーとしてバンドを結成した。メンバーは流動的で、一時はホーンセクションが在籍していたこともあった。その後、リズムを刻んでいたドラムマシンが故障したため、上級生のドラマーフィル・セルウェイを勧誘してレディオヘッドの前身「オン・ア・フライデー」を結成した。兄のバンドに入りたがっていた当時15歳のジョニー・グリーンウッドをサポートメンバー、キーボードとして入れる。

1987年、スクールを卒業した。1年間いくつかのアルバイトを転々として生計を立てる(ほぼ全てクビになるか自分から辞めており、一つも長続きしていない)。1988年、名門エクセター大学に入学するため、トムは単身でイギリス南西部のエクセターに移り、バンドは一時休止した。大学で将来の妻レイチェル・オーウェンと出会う。大学では一時的に「ヘッドレス(ヘッドレス・チキン)」というバンドに参加。メンバーの一人、ジョン・マティアス(ザ・ベンズではコーラス・ストリングスに参加)はメジャーデビューしており、現在も活動中である。ザ・ベンズ収録の「High & Dry」はこのバンドでトムが書き下ろした曲である。1991年春、単位を取得し、エクセター大学を卒業した。ヘッドレスを抜けオックスフォードへと戻る。オン・ア・フライデーは活動再開し、ジョニーがギタリスト兼キーボーディストとして正式加入した。

1992年EMI傘下パーロフォンと契約する。レディオヘッドとバンド名を変えてメジャーデビューした。(敬愛するロックバンド、トーキング・ヘッズの作品『トゥルー・ストーリーズ』に収録の曲「Radio Head」が由来となる。)2000年ビョークのアルバム『セルマソングス?ミュージック・フロム・ダンサー・イン・ザ・ダーク』収録曲「アイヴ・シーン・イット・オール」にゲスト参加した。2001年2月、学生時代からの恋人であるレイチェル・オーウェンとの間に息子ノアが生まれる。2006年7月5日、初のソロ・アルバム『The Eraser』を発売した。
使用楽器

エレクトリックギターフェンダー・テレキャスター系をメインにしていたが、近年はギブソン・SGフェンダー・ジャズマスターの使用頻度が高く、曲によって使い分けている。


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