トム・ヨーク
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彼はヨガ瞑想をする[12]。彼の唯一の兄弟、弟アンディは1993年から2000年までアンビリーバブル・トゥルースのボーカルだった。

23年間、ヨークはアーティストで講師のレイチェル・オーウェンと交際していた。彼はエクセター大学在学中に彼女に出会った。彼らの息子ノアは2001年、娘アグネスは2004年に生まれた。タイムズ紙によると、ヨークとオーウェンは2003年5月にオックスフォードシャーで密かに式を挙げ結婚した[13]。2015年8月に二人は友好的に別れたと発表した[14][15]。オーウェンは2016年12月18日に48歳で癌のため死去した[16]

ヨークは2017年にイタリア人女優のダジャナ・ ロンシオーネ(Dajana Roncione)と交際を始めた。彼らは2020年9月にシチリア島のバゲリーアで結婚した[17][18][19]
発言

「『あなたの目は美しいんだけど、何かが全く違ってるのよ。』表現者としての僕を最初に批評してくれた人が言った言葉さ」
[20]

「小さい頃はただスターを目指してたよ。もしかすると、今もそうかもしれないね」[21]

ロックなんてゴミ音楽じゃないか! 僕はゴミだと思う」[22]

「僕らは民主的だから、何ひとつ決まらないんだ。だからいつも苦しむんだ」[23]

「基本的に僕らのアルバムには完全に近い凝集性がある。シングル用じゃないから時間をかけずとか、そんな事、何言ってんだこのクソ野郎はってぐらい、よく理解できない」[24]

「作品を出す時、余計な人が絡んでこないのがすごく魅力的だったんだ」[25]

ピクシーズなんかは最初からキッズに対して媚びた音楽は作ってなかった。そういうモデルは目指すべきものだと思った」[26]

「Radioheadってバンド名は、その名の通り、僕らの姿勢を代弁してるよ」[27]

「僕は(大学に)行ったよ。他のアーティストをリスペクトするように教わった」(ノエル・ギャラガーのトムに対する「あんたがどれだけ"俺達は不運だ"って言う事に時間を費やしたとしても、客はクリープを歌ってほしいだけなのさ」「俺は大学になんか行ってねえ」などの攻撃的な発言に対して)

「ちょっと待って、君の仕事は何?」(インタビューで家族の事に話が及んだ際)[28]

うつ病って言うのは病気だ。そういうのをアーティスティックなものと関連付けようとする奴もいるけど、頭がおかしいとしか思えない。それはただの苦しい病気なんだよ。病人を冒涜してる」[29]

「そこらへんを歩いてる人々すべてに悲観的観測をしてたら、確実に気が狂ってしまう事に気付いた」[30]

「この世界(=音楽業界)は隙あらば寝首をかいてやろうって人に溢れてる。でもR.E.M.のメンバーは本当に僕たちに良くしてくれてるよ」[31]

「最近のシーンでドラムをドンドン叩くバンドがいっぱいいるけど、なんでそうする必然性があるのかもう少し理由を考えてみるべきだと思う」[32]

「あの頃は色々最悪だったんだけど、一番酷かったのは髪型かな…。」(デビュー初期の自分について)[33]

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この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2016年2月)
2006年撮影

ベジタリアンであるが、偏執的に固執はしない。ちなみに、コリン以外のメンバーは、皆同じくベジタリアン。

自他共に認める非常に気難しい性格。他人に心を開くまで時間がかかり、それまでは冷たい人と思われることがあるらしいが、慣れれば非常に良い人だそうだ。コリン・グリーンウッド曰く、若い頃は「癇癪持ちで赤の他人にとってはちょっと近寄りがたい性格」で、デビュー後もステージ上や公の場で笑顔を見せることは非常に少なかったが、2003年以降のインタビューでは「僕も年取ったし、大人になった」とコメントしている。ヘイル・トゥ・ザ・シーフツアー以降は、それ以前とは打って変わって、ステージ上でおどけたり、笑顔を見せることも多い。

一番心に残っているギグは、1997年のグラストンベリー・フェスティバルと語る。グラストンベリーとしても記憶に残るギグとして、しばしば多くの英ロック雑誌のランキング投票で上位に挙げられる。

意外にも、楽譜の読み書きが多少苦手で、一時期には克服しようと努力していたが、グリーンウッド兄弟に「そんな馬鹿な事をやるなら曲のデモの1つでも作ってくれ」と諭され、諦めている。ちなみに、レコーディングストリングスやホーンセクションを呼ぶ際は、昔から基本的にジョニー・グリーンウッドが譜面を書く。

OK コンピューター』期前後までノートを常時持ち歩いており、それを片手にインタビューを受けることも多かった。単なる落書きや歌詞のインスピレーションとなる言葉など、様々なものを書き殴っていたらしい。

嫌いで有名。歌詞の多くで否定的に綴られている。自身も学生時代に大きな事故にあっており、二酸化炭素の大量排出やグローバル資本主義第三世界労働者軽視の象徴という意味でも、車産業・車メーカーを忌み嫌っている。近場の移動には自転車を使用する。

1997年?2000年前後までうつ病で医療機関にかかり、抗うつ薬を服用していたことを認めている(SPIN誌他)。

表記はThomであり本来なら「ソム」と発音しそうなものだが、これはThomasの愛称であるため、フランス語圏の発音でもある「トム」で特に問題はない。[34]

生まれた時、彼の左目は開いていなかった。これが原因で、アビントン・スクールでは「サラマンダー」(=サンショウウオ)というあだ名で呼ばれていた。6歳までに筋肉移植の手術を5回も受けているが、後遺症が残ってしまい、トムは「最初の医者がしくじりやがった」と憤っている[35]

本国やアメリカでは、顔がロシアプーチンに似ていると話の種にされることがある。メンバーのエド・オブライエンの公式ダイアリーでも、それについて触れている。

自家にいる際は、ニュースチャンネルに一日中かぶりついていることもあるらしい。また、ラジオをいつも持ち歩いている。

エクセター大学の卒業作品で取り組んだのは、Macintoshを使い、ミケランジェロの絵画の色をすべて変えて、自分の作品に仕立て上げるというもの。

マルタン・マルジェラの服を度々着用している。

オアシスノエル・ギャラガーは、トムのネガティヴな歌詞について批判的に発言する一方、新譜が出る度に毎回購入し、「ライブでは一発お見舞いされる」と発言するなど、その前衛性と革新性について高く評価している。『OK コンピューター』の収録曲「カーマ・ポリス」は、レディオヘッド・ベストに挙げられている。


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