トム・ヨーク
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ザ・ベンズ収録の「High & Dry」はこのバンドでトムが書き下ろした曲である。1991年春、単位を取得し、エクセター大学を卒業した。ヘッドレスを抜けオックスフォードへと戻る。オン・ア・フライデーは活動再開し、ジョニーがギタリスト兼キーボーディストとして正式加入した。

1992年EMI傘下パーロフォンと契約する。レディオヘッドとバンド名を変えてメジャーデビューした。(敬愛するロックバンド、トーキング・ヘッズの作品『トゥルー・ストーリーズ』に収録の曲「Radio Head」が由来となる。)2000年ビョークのアルバム『セルマソングス?ミュージック・フロム・ダンサー・イン・ザ・ダーク』収録曲「アイヴ・シーン・イット・オール」にゲスト参加した。2001年2月、学生時代からの恋人であるレイチェル・オーウェンとの間に息子ノアが生まれる。2006年7月5日、初のソロ・アルバム『The Eraser』を発売した。
使用楽器

エレクトリックギターフェンダー・テレキャスター系をメインにしていたが、近年はギブソン・SGフェンダー・ジャズマスターの使用頻度が高く、曲によって使い分けている。エフェクターは歪みとディレイを中心とした汎用的なシステムを使用。アコースティックギターは主にギブソンマーティン製のヴィンテージかつ小振りなモデルを愛用している。ピアノシンセサイザーハーモニウムなどの鍵盤楽器も使用する。特にピアノはヤマハ製のものが多い。その他、タンバリンやミニドラムキットなど、曲に合わせて様々な楽器を演奏する。
歌唱・演奏スタイル2001年撮影

美しい高音の裏声を多用した歌唱スタイルが特徴。「女性や子供のよう」とも形容されるが、トムのコンプレックスでもあり、『キッド A』では意図的にそのスタイルを封印して歌声をノイズやエフェクトでかき消したりなど、時期によって試行錯誤を重ねている。パブロ・ハニー期には線の細い歌声とは正反対の、エモーショナルなシャウトを用いていたこともあった。現在では、本来の高い裏声をメインにした歌唱に戻っており、2006年のソロ・アルバム以降のインタビューでは「僕にはこの声しかないって改めて分かった」などと語っており、後の『イン・レインボウズ』では、それまで以上に披露している。

レディオヘッドの楽曲は一部のプログラミング主体の曲以外、トムの弾き語りを基調にバンドサウンドを肉付けしていくものが非常に多いため、トムのギタープレイはその多くが、伴奏となるコードプレイもしくはリフ主体であり、ギターノイズやリードプレイはエド・オブライエンジョニー・グリーンウッドに任せている。しかし、多くのバンドのリード・ヴォーカルの弾くようなサイド・ギターとしてのプレイ一辺倒というわけではなく、歌いながらメロディー・ラインとは全くリズムの違うリフを弾いていたりなど、ギター歴が非常に長いだけあって、目立たないながらも技術は高い水準にある。デビュー初期は非常に低い位置でギターを構えていたが、現在は標準もしくはやや高めになっている。

キッド A』以降から、本格的に鍵盤の弾き語りも行うが、ほとんど独学のためか、シンセサイザーに関しても「プログラミングや演奏はジョニーやコリンのほうが得意」と謙遜している。
レディオヘッドにおける貢献・作風

バンドの楽曲のすべての作詞を手掛ける。作曲もメンバーで最も貢献度が高いと言えるが、レディオヘッドの楽曲の多くはデモや大枠をトムが作り、アレンジをメンバー5人とナイジェル・ゴッドリッチで議論しながら行うというスタイルをとっているため、一人でバンドのすべての曲を一から十まで作曲しているわけではない[注釈 1]。ソロアーティストとしても活動。第三世界人権問題環境問題を軽視するコマーシャリズムグローバリズムに嫌悪感を抱いており、貿易法改善を呼びかけるといった社会運動にも積極的に参加している。楽曲の歌詞にも政治、社会問題に関連して(多くは婉曲的に)書かれたものがいくつか存在するが、その多くは何らかの扇動的意識や不特定多数への問いかけを内包しているというより、むしろアイロニカルで厭世的なものであり、ここは同じく政治的な歌詞が目立つU2ボノR.E.M.マイケル・スタイプとの大きな相違点である。
私生活

ヨークはオックスフォードシャーに住んでいる[11] 。彼はヨガ瞑想をする[12]。彼の唯一の兄弟、弟アンディは1993年から2000年までアンビリーバブル・トゥルースのボーカルだった。

23年間、ヨークはアーティストで講師のレイチェル・オーウェンと交際していた。彼はエクセター大学在学中に彼女に出会った。彼らの息子ノアは2001年、娘アグネスは2004年に生まれた。タイムズ紙によると、ヨークとオーウェンは2003年5月にオックスフォードシャーで密かに式を挙げ結婚した[13]。2015年8月に二人は友好的に別れたと発表した[14][15]。オーウェンは2016年12月18日に48歳で癌のため死去した[16]

ヨークは2017年にイタリア人女優のダジャナ・ ロンシオーネ(Dajana Roncione)と交際を始めた。彼らは2020年9月にシチリア島のバゲリーアで結婚した[17][18][19]
発言

「『あなたの目は美しいんだけど、何かが全く違ってるのよ。』表現者としての僕を最初に批評してくれた人が言った言葉さ」
[20]

「小さい頃はただスターを目指してたよ。もしかすると、今もそうかもしれないね」[21]

ロックなんてゴミ音楽じゃないか! 僕はゴミだと思う」[22]

「僕らは民主的だから、何ひとつ決まらないんだ。だからいつも苦しむんだ」[23]

「基本的に僕らのアルバムには完全に近い凝集性がある。シングル用じゃないから時間をかけずとか、そんな事、何言ってんだこのクソ野郎はってぐらい、よく理解できない」[24]

「作品を出す時、余計な人が絡んでこないのがすごく魅力的だったんだ」[25]

ピクシーズなんかは最初からキッズに対して媚びた音楽は作ってなかった。そういうモデルは目指すべきものだと思った」[26]

「Radioheadってバンド名は、その名の通り、僕らの姿勢を代弁してるよ」[27]

「僕は(大学に)行ったよ。他のアーティストをリスペクトするように教わった」(ノエル・ギャラガーのトムに対する「あんたがどれだけ"俺達は不運だ"って言う事に時間を費やしたとしても、客はクリープを歌ってほしいだけなのさ」「俺は大学になんか行ってねえ」などの攻撃的な発言に対して)

「ちょっと待って、君の仕事は何?」(インタビューで家族の事に話が及んだ際)[28]

うつ病って言うのは病気だ。そういうのをアーティスティックなものと関連付けようとする奴もいるけど、頭がおかしいとしか思えない。それはただの苦しい病気なんだよ。病人を冒涜してる」[29]

「そこらへんを歩いてる人々すべてに悲観的観測をしてたら、確実に気が狂ってしまう事に気付いた」[30]

「この世界(=音楽業界)は隙あらば寝首をかいてやろうって人に溢れてる。でもR.E.M.のメンバーは本当に僕たちに良くしてくれてるよ」[31]


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