青春映画の端役を演じた後、『卒業白書』(1983年)の瑞々しい演技で注目され、若手スター候補生「ブラット・パック」のひとりに数えられる。1986年公開の『トップガン』の世界的大ヒットによりトップスターの仲間入りを果たし、次々にヒット作に出演。以前は主に青春映画やヒューマンドラマ、社会派作品や作家性の強いアート系作品などに出演しておりアクションのイメージがほとんど無かったが、2019年5月現在では『ミッション:インポッシブル』シリーズを中心にその大半がアクション映画への出演となっており、実質的にはアクション俳優ともいえる。
『7月4日に生まれて』(1989年)と『ザ・エージェント』(1996年)でアカデミー賞主演男優賞に、『マグノリア』(1999年)では助演男優賞にノミネートされ、名実ともに一流俳優として不動の地位を手に入れた。1992年には長年のビジネスパートナー、ポーラ・ワグナーとともにパラマウント映画内に「クルーズ/ワグナー・プロダクションズ」を設立し、1996年公開の『ミッション:インポッシブル』では初めて映画プロデューサー業にも進出。この作品によりキャリアの転換期を迎え、それまではアクション俳優だと認識されていなかったものの、これ以降はアクション映画にも多数出演するようになった[8]。また、プロデューサーとしても2022年の『トップガン マーヴェリック』(『トップガン』の続編)でコロナ禍の危機にあったハリウッド映画界を興行的に救い、アカデミー作品賞にもノミネートされた。
婚約者をめぐる様々なメディアの報道に対して、パラマウント映画は一方的に14年間に及ぶ契約を打ち切る発表を2006年8月におこなった[9]。同月クルーズの持つ映画製作会社「クルーズ・ワグナー・プロダクションズ」(『ミッション:インポッシブル』シリーズの権利を持っている)に、ダニエル・スナイダー[注 1]らの投資グループが資金を拠出することになった。同年11月、ユナイテッド・アーティスツを再興する形でトム・クルーズとポーラ・ワグナーが映画制作を行う事をメトロ・ゴールドウィン・メイヤーが発表した[10]。またこれは、クルーズのように漠然と出演費が増え続ける俳優に対するハリウッドの転換期とも言われている。
その後、パラマウント映画を傘下にもつバイアコムの会長サムナー・レッドストーンは雑誌『ピープル』誌を通し「彼は素晴らしい友人だった。また友人に戻れることを望んでいる」と語った。また「私は彼を解雇になどしていない。メディアが大げさに書きたてたんだ」などと『ウォール・ストリート・ジャーナル』誌に語ったが、クルーズ本人はその後も沈黙を貫き通していた。 結婚前は、メリッサ・ギルバート、レベッカ・デモーネイなどと交際。 幼い頃から学習障害(LD、失読症(Dyslexia:ディスレクシア、具体的にはbとdが区別できなかった)つまり書かれた文字を読む上での障害を持ち、自身、障害者にかかわる映画(『レインマン』)や、この障害の理解を推奨するための映画(『デイズ・オブ・サンダー』)も製作主演している。また、新宗教であるサイエントロジーの活動(「勉強の技術」の実践)によりこの学習障害を克服したと語っている。この経験から学習障害児への支援活動にも取り組んでいる。『ラスト サムライ』の宣伝のために2003年8月に来日した際、首相官邸の小泉純一郎首相を表敬訪問、日本の若者たちにと教祖であるL・ロン・ハバードの著書、『学び方がわかる本』(ニュー・エラ・パブリケーションズ・ジャパン(株)発行、.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 4-931223-22-2)を首相に手渡した。2009年1月スペインの雑誌『XLセマナル』の中で「誰も解決策をくれなかったけれど、大人になってサイエントロジーの教育本を読んだことで完ぺきに読解ができるようになった」と語った。 また、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の治療薬のリタリンの使用に米国社会が依存していることを厳しく非難している。トム自身も1970年に投薬治療を勧められたが、母親がこれを断った。
私生活
恋人
結婚歴
ミミ・ロジャース - 1987年にミミ・ロジャースと結婚(初婚)するが、1990年に離婚。
ニコール・キッドマン - 離婚直後の同年12月にニコール・キッドマンと2回目の結婚。キッドマンとは、おしどり夫婦として有名だったが、2001年に離婚[11]。
離婚成立前から『バニラ・スカイ』で共演したペネロペ・クルスとの恋愛(不倫)が公になり、結婚目前と言われたが2004年に破局している。
ケイティ・ホームズ - 再々婚前の2006年4月18日、当時婚約者だった映画『バットマン ビギンズ』などに出演した女優ケイティ・ホームズがロサンゼルスで、初めての実子として女児(スリ・クルーズ)を出産[12]。その後、2006年11月25日にイタリアで3回目の結婚[13]。しかしながら2012年6月、ケイティ・ホームズとの離婚申請を発表。7月に和解に達し、正式に離婚した。
家族
元妻キッドマンとの間には養子が2人(Isabella Jane(1992年生まれ)、Connor Antony(1995年生まれ))
前妻ケイティ・ホームズとの間には娘スリ・クルーズが1人。
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最初の妻、ミミ・ロジャース
2人目の妻、ニコール・キッドマン(2003年)
3人目の妻、ケイティ・ホームズ(2009年)
人物