トム・ウェイツ
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10歳の頃に両親が離婚し、姉2人と共に母親に引き取られてサンディエゴ郡ナショナルシティに移るが、父親とも友好的な関係を続けた。

ティーンエイジャーの頃はフォークブルースR&B、ジャズに傾倒し、当時流行していたロックには興味を示さなかった。トムは、自分に衝撃を与えた人物としてジェームス・ブラウンボブ・ディランライトニン・ホプキンスセロニアス・モンク等を挙げている[7]

16歳で高校を中退し、ピザ屋の店員として働く。この頃、ジャック・ケルアック等のビートニク文学に影響を受け、また、仕事の合間に作詞・作曲を始めた。トムのセカンド・アルバム『土曜日の夜』収録曲「ゴースト・オブ・サタデイ・ナイト」は、この頃の経験を元にした歌で、同曲のサブタイトルは「After Hours at Napoleone's Pizza House(仕事がはねたあとナポウリオーニーズ・ピザ・ハウスで)」。

1970年代初頭にロサンゼルスに移り、クラブで歌うようになる。1971年にはハーブ・コーエン(当時フランク・ザッパアリス・クーパーティム・バックリィ等のマネージメントを担当していた)と出会い、同年、初のデモ・テープを制作。この時の音源は、1990年代にコンピレーション・アルバム『アーリー・イヤーズVol.1』(1991年)、『アーリー・イヤーズVol.2』(1993年)として世に出ることとなる。
アサイラム・レコード期

1972年、当時はまだ新興レーベルだったアサイラム・レコードと契約し、1973年にアルバム『クロージング・タイム』でデビュー。商業的には成功しなかったが、同作収録曲「オール'55」は、1974年イーグルスがアルバム『オン・ザ・ボーダー』(1974年)でカヴァーして話題となった。

1976年、初のヨーロッパ・ツアーを行う。同年、アルバム『スモール・チェンジ』で初めて全米アルバム・チャートのトップ100にランク・イン(最高位89位)。同作には、大御所ジャズ・ドラマーのシェリー・マンが参加。収録曲「トム・トラバーツ・ブルース」は、後に様々なミュージシャンにカヴァーされ、また、2009年には日本のテレビドラマ『不毛地帯』のエンディング・テーマに起用される。

1977年1月には初の日本ツアーを行う(10都市12公演、初日は1月8日東京久保記念講堂公演)[8]。同年発表の『異国の出来事』ではベット・ミドラーと共演。同作のジャケットは、トムと恋人のリッキー・リー・ジョーンズ(当時はまだ歌手デビュー前だった)のツーショット写真[9]

1978年3月には、二度目の日本公演を行う[8]。同年、トムが端役で出演した映画『パラダイス・アレイ』(監督・主演:シルヴェスター・スタローン)が公開され、俳優デビューを果たす。

1970年代末にはリッキー・リー・ジョーンズと別れ、1980年代に入るとニューヨークに移る。この頃、映画監督のフランシス・フォード・コッポラと出会う。1980年8月には、コッポラの下で脚本編集者として働いていたキャスリーン・ブレナンと結婚。キャスリーンは、ソングライティングやプロデュースの面でもトムをサポートしていく。同年発表のアルバム『ハートアタック・アンド・ヴァイン』には、以後長きに渡ってトムの盟友となるベーシスト、グレッグ・コーエンが初参加。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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