トムソン_(企業)
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同社はその後1892年、エジソン総合電気会社(Edison General Electric Company)と合併してゼネラル・エレクトリック(GE)となり、現在に至っている[12][13][14]

1893年2月27日、GEの姉妹会社としてフランス・トムソン・ヒューストン方式運用会社がパリに設立された。元々旧トムソン・ヒューストン・エレクトリック社が持っていた発電および送電に関する特許技術を活用する目的で設立されたこの会社は、当時の交通手段であった路面電車の分野で成長を遂げた[2][15][16]。20世紀初頭に入ると、鉄道信号機や電話機の分野に参入。1921年にはマツダ(Mazda)のブランド名で電球を販売し、1928年に重工業事業を新設の別会社に移管しアルストムを設立。この他放射線部門を分社化した放射線公社(Compagnie Generale de Radiologie)や無線通信機器製造会社のデュクレテ・トムソン(Ducretet Thomson)を設立した。1941年には社名を縮めフランス・トムソン・ヒューストン社(Compagnie Francaise Thomson-Houston)に改めた[2]

1960年代になると、冷蔵庫、洗濯機、コンロなどの家電製品にも手を広げ、通信機器においてはフランス国内で50%のシェアを獲得していた。1966年には自動車メーカーのオチキス・ブラント社(Hotchkiss-Brandt)と合併しトムソン・ヒューストン・オチキス・ブラント(Thomson-Houston-Hotchkiss-Brandt)と社名を変更。のちにトムソン・ブラント(Thomson-Brandt)となった[2][17][18]
1968年?1991年:国営化とグループの拡大トムソンの社名時のロゴ


トムソンCSF(現タレス・グループ)がかつて製造していた製品:(左)電力用トランジスタ、(右)地対空ミサイル用レーダー
旧トムソン本社ビル

1968年、トムソン・ブラントの業務用電子機器部門が無線電信公社(英語版)(Compagnie Generale de Telegraphie Sans Fil, CSF)と合併し、トムソンCSF(Thomson-CSF)となった。トムソンCSFは1970年代から1980年代にかけて、中東での大型輸出契約を獲得し、電話交換機、シリコン半導体、医療用画像処理にまで事業範囲を拡大させた[16][19]

1982年にトムソン・ブラントとトムソンCSFは共に国営企業となり、トムソン・ブラントはトムソンと改名。トムソンCSFは同社に吸収合併されるが、対外的には独立した存在として扱われた[16][20][2]

1987年、トムソンはGEからRCAを含む同社の家電製品部門を獲得し、代わりに医療機器事業をGEに譲渡した。この時GEのブランドは10年間、RCAのブランドは永久使用を条件とした[21][22]。同年、トムソンCSFの半導体事業を担うトムソン・セミコンデュクトゥール社(Thomson Semiconducteurs)がイタリア・SGSミクロエレットロニカ社(SGS Microelettronica)と経営統合し、SGSトムソン・マイクロエレクトロニクス(SGS-Thomson Microelectronics)となった[23][19][24]

1988年には、トムソンの家電製品部門としてトムソン・コンシューマー・エレクトロニクス(Thomson Consumer Electronics、以下TCE)が設立[25][26]。1989年には航空機メーカー・アエロスパシアルの子会社3社とトムソンCSFの航空機部門が合併し、セクスタン・アヴィオニーク社(Sextant Avionique)が誕生。のちにアエロスパシアルによって売却され、トムソンCSF・セクスタン(Thomson-CSF Sextant)として子会社化した[2][27]

1990年には、トムソンCSFはオランダ企業フィリップスの軍事関連子会社であったオランダ信号機器(Hollandse Signaalapparaten BV、現タレス・ネーデルラント(英語版))の買収を機に、軍事用製品の部門を強化。電話、ランプ、放射線などの事業を他の企業に売却した[2][28]。この頃になると、トムソンは財務面において脆弱性を抱えるようになった。この年、TCEは27億フランの損失を計上し、その損失のほとんどをトムソンCSFの利益によって補填することで経営の安定を維持していた。1991年時点で、トムソンは防衛用電子機器の分野で世界第2位、家電分野においては日本の松下電器(現パナソニック)やソニー、フィリップスに次いで第4位、半導体分野では第12位のシェアを獲得していた[26]
1995年?2000年:政府による売却、そして民営化へ

1994年、TCEは営業利益を1993年時点の1億5500万フランから、6億400万フランと4倍にまで増やし、売上高は14%増の381億4600万スイスフランを計上していたが、120億フランもの負債が3年もの間残ったままだった[29][30]


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