トミスラヴ2世
[Wikipedia|▼Menu]
1941年5月18日、アイモーネはクロアチア建国の英雄トミスラヴ(Tomislav)の名を取り、クロアチア国王トミスラヴ2世たることを宣言した[7]。しかし、クロアチア王位は形式的意義しか持たず、いかなる実際上の権力も有さなかった。また、クロアチア人によるテロを恐れ、自らの領土には足を踏み入れず、フィレンツェに留まった。そして、連合国に対するイタリアの降伏を受け、1943年10月12日にクロアチア王位を放棄した。

一方、兄の第3代アオスタ公爵アメデーオタンガニーカのイギリス軍捕虜収容所で死亡したため、1942年3月3日、第4代アオスタ公爵の地位を継承した。

戦後、国民投票に基づきイタリアの王制が廃止され、サヴォイア家が国外追放されると、アイモーネはアルゼンチンに移住した。そして、1948年ブエノスアイレスで死去した。
家族

1939年7月1日ギリシャ国王コンスタンティノス1世ソフィア王妃の娘であるイレーネ王女とフィレンツェで結婚し、1男を儲けた。

アメデーオ(1943年 - 2021年) 第5代アオスタ公爵

称号

トミスラヴ2世の国王時代の正式な称号は以下の通りである。

Re di Croazia, Principe di Bosnia ed Erzegovina, Voivoda di Dalmazia, Tuzla e Temun, Duca d'Aosta, Principe di Cisterna e Belriguardo, Marchese di Voghera, Conte di Ponderano

クロアチアの国王、ボスニア・ヘルツェゴビナの公、ダルマチアトゥズラ・テムンのヴォエヴォドアオスタの公爵、チステルナとベルリグアルドの公、ヴォゲーラの侯爵、ポンデラーノの伯爵

脚注^The Peerage
^ “Prince is Italian Senator”. New York Times: p. 10. (1921年4月2日) 
^K2 - The Savage Mountain Archived 2007年6月28日, at the Wayback Machine.
^K2 2004 - 50 years later Archived 2007年9月27日, at the Wayback Machine.
^ “ ⇒List of Past Gold Medal Winners”. Royal Geographical Society. 2015-08--24閲覧。
^“Milestones”. Time Magazine. (1930年4月21日). ⇒http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,739128,00.html 
^ このように外国から招聘された国王が、自国の英雄の名前を名乗る例として他にスカンデルベグ2世アルバニア公)、ミンダウガス2世リトアニア国王)などの例がある。

関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、トミスラヴ2世に関連するメディアおよびカテゴリがあります。

イタリア陸軍

チェスネキー・ジュラ - イタリアの傀儡国家であるピンドス公国・マケドニア公国の君主。










サヴォイア=アオスタ家第4代当主(1942年 - 1948年)
カルロ・アルベルト以降
のサヴォイア家

カルロ・アルベルト1831-1849 / ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世1849-1878 / ウンベルト1世王1878-1900 / ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世1900-1946 / ウンベルト2世王1946-1983 / ナポリ公ヴィットーリオ・エマヌエーレ1983-2024 / エマヌエーレ・フィリベルト2024-

分家・支流
サヴォイア=ジェノヴァ家

フェルディナンド1世1831-1855 / トンマーゾ1855-1931 / フェルディナンド2世1931-1963 / フィリベルト1963-1990 / エウジェーニオ1990-1996 / 断絶
サヴォイア=アオスタ家

アメデーオ1世1845-1890 / エマヌエーレ・フィリベルト1890-1931 / アメデーオ2世1931-1942 / アイモーネ1世1942-1948 / アメデーオ3世1948-2021 / アイモーネ2世2021-現在

先代
カルロ4世)クロアチア国王
1941年5月 - 1943年10月次代
(王位請求者:ズヴォニミル2世

先代
アメデーオ2世アオスタ公
1942年 - 1948年次代
アメデーオ


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:28 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef