トマト
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トマチンには幾つかの菌に対する抗菌性[14][15]昆虫への忌避性[16]があるが、トマトを食害する害虫は存在する。野生種においては、完熟果実においてもトマチンが相当量残留する。通常食用にされている品種の完熟果実のトマチン量はごく微量であり、ヒトへの健康被害は無視できる[16]
歴史

トマトは、原産地である南米のアンデス山脈や、ガラパゴス諸島の雨の降らない乾燥地帯に自生していた[17]メキシコへは紀元前1600年ごろに伝わり[17]、メキシコのアステカ族がアンデス山脈からもたらされた種からトマトを栽培し始めた。新大陸の中でもトマトを栽培植物として育てていたのは、この地域に限られる。16世紀にアステカに入ったサアグン修道士の記録から、当時から複数種類の栽培種が開発されていたと見られる[18]

ヨーロッパへは、クリストファー・コロンブスによる南米大陸発見によりもたらされ[17]、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}1519年にメキシコへ上陸したスペイン人エルナン・コルテスがその種を持ち帰ったのが始まりであるとされている[要出典]。当時トマトは「poison apple」(リンゴ)ともよばれていた。なぜなら裕福な貴族達が使用していたピューター合金)食器にはが多く含まれ、トマトの酸味で漏出して鉛中毒になっていたためである[19]。鉛中毒の誤解が解けた後も、有毒植物であるベラドンナに似ていたため、であると信じる人も多く、最初は観賞用とされた[19][5]

しかし、イタリア貧困層で食用にしようと考える人が現れ、200年にも及ぶ開発を経て現在の形となった。これがヨーロッパへと広まり、一般的に食用となったのは19世紀以降のことである[5]。南ヨーロッパでは加熱調理用、北ヨーロッパでは生食用の品種が発達していった[17]

一方、北アメリカではその後もしばらくは食用としては認知されなかった。フロリダ方面に定着したスペイン系入植者やカリブ海経由で連れてこられた黒人奴隷がトマトを食べる習慣をゆっくりと広めていった。実験精神の旺盛なトーマス・ジェファーソンは自らの農園でトマトを栽培し、ディナーに供した。1820年ニュージャージー州の農業研究家ロバート・ギボン・ジョンソン(英語版)は、セイラムの裁判所前の階段でトマトを食べて人々に毒がないことを証明したとされるが、詳しい資料は残っていない[20][21]

1893年当時のアメリカでは輸入の際に果物への関税がなく、野菜には関税が課せられていた。このため、トマトの輸入業者は、税金がかからないように「果物」と主張。これに対して農務省は「野菜」と主張した。米国最高裁判所の判決は「野菜」。判決文には「トマトはキュウリやカボチャと同じように野菜畑で育てられている野菜である。また、食事中に出されるが、デザートにはならない」と書かれていた[22]

日本には江戸時代の17世紀初め(寛文年間ごろ)に、オランダ人によって長崎へ伝わったのが最初とされる[5]。狩野探幽の『草花写生図巻』(1668年)には観賞用のトマトが描かれ[23]、また貝原益軒の『大和本草』(1709年)にはトマトについての記述があり、そのころまでには伝播していたものと考えられている[23][24]。ただ、青臭く、また真っ赤な色が敬遠され、当時は観賞用で「唐柿」(とうがき)や、「唐茄子」(とうなすび)とよばれていた[5]中国では、現在も「西紅柿」(x?hongshi)と呼んでおり、西紅柿炒鶏蛋鶏卵との炒め物)などとして料理される。

なお、台湾香港では「番茄」(f?nqie)とよばれ、番茄牛肉通心粉(牛肉とマカロニとの煮物)などの料理がある。

日本で食用として利用されるようになったのは明治以降で[25]1868年(明治元年)に欧米から9品種が導入され、「赤茄子」(あかなす)とよばれたが、当時はトマト独特の青臭い匂いが強い小型の品種であった[5][23]。そのトマト臭に日本人はなじめず、野菜として普及したのは19世紀末(1887年ころ)からとされる[26][5]。さらに日本人の味覚にあった品種の育成が盛んになったのは昭和時代からである。20世紀に入ってから、アメリカから導入された桃色系大玉品種「ポンテローザ」とその改良種「ファーストトマト」が広く受け入れられたことから、トマトの生産は日本各地で普及していき[27]、第二次世界大戦後になってトマトの需要が飛躍的に増大していった[5]。1960年代は生産地が都市から遠くなったことで果実を未成熟で収穫して出荷する「青切り」が定着するようになり、1970年代になると食味向上や着色均一化のニーズが高まった[27]。そこで消費者のニーズに応える形で、1985年(昭和60年)にタキイ種苗の開発によって樹上完熟でも収穫できる「桃太郎」が誕生した[27]

トマトは米国で最初に認可を受けた遺伝子組み換え作物である。1994年5月、FDA(連邦食品医薬品局)が承認したFlavr Savrというトマトで、長期間の保存に適した品種であった。ただし、開発費用などを回収するために通常のトマトよりも高い価格に設定されたため、商業的にはそれほどの成功を収めなかった。
品種トマトの実。縦断面と横断面

トマトの果実

トマトの実

縦断面

横断面
詳細は「トマトの品種一覧(英語版)」を参照様々な品種のトマト様々な品種のトマト

果皮の色による分類では桃色系・赤系・緑系に大別される。

桃色系トマトの果実は、果肉が赤色、果皮が無色透明のため見た目が桃色を呈する[17]。皮が薄くて香りが弱く甘味があり[17]、酸味や青臭いトマト臭が少なく生食に向いているという特徴がある[5]

一方の赤系トマトの果実は、果肉が赤色、果皮が黄色で見た目が濃い赤を呈する[17]。皮が厚く酸味や青臭さが強いが加熱調理向きとされる[28]。厚くて丈夫な果皮、酸味と香りが強く、ジュースやケチャップなどの加工用にも使われる[17]


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