トマス・ホッブズ
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トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes, 1588年4月5日 - 1679年12月4日[1])は、清教徒革命イングランド内戦)から王政復古期にかけてのイングランド哲学者

17世紀近世哲学にあって、ルネ・デカルトなどと共に機械論世界観の先駆的哲学者の一人であり、バールーフ・デ・スピノザなどとともに唯物論の先駆的思索を行った哲学者の一人である。政治哲学者としての側面は広く周知され、人工的国家論の提唱と社会契約説により近代的な政治哲学理論を基礎づけた人物として一般的に知られる。王太子時代のイングランド王チャールズ2世の家庭教師でもあった。
概要

イングランド国教会の聖職者の子として生まれる。1588年、スペイン無敵艦隊襲来というニュースにショックを受けた母親は産気づき、予定より早く出産した。このため「恐怖と共に生まれた」といわれる。1608年にオックスフォード大学を卒業[2]した後、デヴォンシャー伯爵家(後のデヴォンシャー公家)に家庭教師として仕える。1610年から1630年代にかけて貴族の子弟とともにヨーロッパ大陸へ三度旅行し、フランスイタリアの哲学者や科学者と交流した[2]

清教徒革命前の1640年に自分の身を案じてフランスへ亡命[2]し、後に国王となったチャールズ2世の家庭教師を務める。最もよく知られる著作『リヴァイアサン』は、イングランド内戦が終結してオリバー・クロムウェルの統治下にあったイングランド共和国に帰国した1651年に刊行された。ベーコンガリレオ、デカルトらと交友があった。

1655年に出版した『物体論』(De Corpore)内で円積問題の解を見つけたと公表し、数学者ジョン・ウォリスとの論争に発展した。ホッブズの哲学は公理系を元に構築する幾何学的な考え方を元にしていたが、円積問題については終始、本質を理解することができず、誤りを自覚できずに死ぬまで激しい論争を続けた(ホッブズとウォリスの論争(英語版))[要出典]。

形而上学においては唯物論の立場に立ち、その考えは『物体論』において展開された。また、デカルトから『省察』の批判を書くよう頼まれた時はその立場から批判を行なったが(デカルトは他の哲学者や神学者にも批判を頼み、ホッブズのそれは第三論駁と呼ばれる)、自身の哲学への不理解と解したデカルトからの反応は冷淡であった[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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