トマス・クランマー
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一方でトマス・モア、アン・ブーリン、トマス・クロムウェルなどヘンリー8世により処刑された者たちの弁護も行い、第一継承法への宣誓を拒否するモアを説得したり、アンやクロムウェルの無実を王へ訴えたが、彼等の助命は叶わず処刑された[注 2][6]

大陸のプロテスタントと関係が深い経歴からクロムウェルと並ぶイングランド国教会の福音主義者で宗教改革の推進役と目され、1538年英語訳聖書を全ての教会で用意することをクロムウェル共々王を説得、1539年4月に刊行されたイングランド最初の欽定訳聖書『大聖書』では口絵でクロムウェルと共に聖書を国民へ下げ渡す人物として描かれた。1540年のクロムウェル処刑後はジェーンの兄のハートフォード伯エドワード・シーモア(後のサマセット公)と組んで保守派のカトリック勢力であるノーフォーク公トマス・ハワードやガーディナーと対抗、1543年にはガーディナーらが陰謀を巡らせ、枢密院内部の保守派が王に讒言、異端容疑で逮捕される寸前になったが、王の信任が変わらなかったため逮捕されずに済んだ。1547年に王の遺言執行人の1人に選ばれ650ポンドを遺贈、1月28日に王の死を看取り、2月14日の葬列に参加した[3][7]
宗教改革の推進と失脚

ヘンリー8世とジェーンの息子エドワード6世が即位、護国卿として実権を握るサマセット公の下で更に宗教改革を推し進めた。1549年1552年の2度に渡り制定した共通祈祷書を制定、これを付け加えた礼拝統一法(英語版)が制定、儀式にカトリック的要素を残しながらも礼拝文を1冊に纏める試みが行われた[3][8]

ところが、1553年にエドワード6世が死亡、ノーサンバランド公ジョン・ダドリーの画策でジェーン・グレイが擁立されると危機に立たされた。計画が失敗したノーサンバランド公は処刑、新たに即位したメアリー1世からジェーン擁立に与したとしてクランマーもロンドン塔へ投獄されたからである。女王はイングランドをカトリックの国家にするという意思を表明、国教会は苦境に立たされ、審問や法廷に引きずり出されたクランマーは教義討論に出席したり、必死に女王へ助命嘆願したが却下され、1555年9月に開かれた裁判で異端の烙印を押され破門と死刑に決まった[9]クライスト・チャーチに掲げられているクランマー、ラティマー、リドリーの焚刑を描いたステンドグラス

プロテスタントを迫害し、女性子供を含む約300人を処刑したため、「ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)」と呼ばれたメアリー1世はプロテスタントの教役者達を片っ端から逮捕、クランマーもその例外ではなかった。獄中で生への執着が芽生えたクランマーは5度も信仰を撤回してカトリック転向を宣言したが、助からないことを悟ると、オックスフォードで執行された処刑当日の1556年3月21日に今までの転向を否定し、命惜しさに転向したことを告白、キリストの敵である教皇を認めないと宣言した。そして転向書に署名した右手を真実に反することを書き連ねたとして燃え盛る炎に突っ込み、全身火炙りにされた。処刑されたプロテスタントの殉教者の中には、ヒュー・ラティマー、ニコラス・リドリーらがいる[3][10]
発表された主な論文

Book of Common Prayer (1549年)

Ten Article

Defense of the True and Catholic Doctrine of the Sacrament (1550年)

Forty-two Articles (1553年)

注釈^ 再婚の理由はクランマーが20代と若いマルガレーテに惹かれていたこと、大陸のプロテスタント思想にも興味があったことが推測される。しかし聖職者の身で結婚はスキャンダルであり、主君ヘンリー8世も聖職者の妻帯を認めなかったため、以後クランマーはマルガレーテの存在を隠し続けたが、1539年に制定された6箇条法で聖職者妻帯禁止が明記されると、マルガレーテを大陸へ送り還すことを余儀なくされた。橋口、P143 - P144、P153 - P154、陶山、P218。
^ 王の4度目の結婚には気が進まず、王がアン・オブ・クレーヴズよりキャサリン・ハワードに惹かれていたことを知っていたため、縁談に積極的なクロムウェルとの会話で「愛する相手と結ばれるのが最も望ましい」と私見を述べた所、反対するクロムウェルに「言葉も通じない女性と結婚するなどおかしな話ではないか」と言い返した。クランマーの予想が当たり4度目の結婚は王とアンの相性の悪さが改善されず破局、クロムウェルは責任を取らされ処刑された(処刑理由は縁談ではなくクロムウェルがプロテスタント急進派だと王に疑われたからとも)。陶山、P231 - P240、P310 - P311。

脚注^ 橋口、P140 - P143、陶山、P309 - P310。
^ 橋口、P135 - P136、P140 - P141、P143 - P145、松村、P175 - P176、陶山、P170 - P171。
^ a b c d e 松村、P176。


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