トスカーナ
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フィレンツェ

プラート

リヴォルノ

ピサ

シエーナ

歴史

古代ローマの進出以前はローマの基礎を築いたとされるエトルリア人が多く住む土地で、トスカーナという名前も「エトルリア人の土地」を意味する(古代ローマ人はエトルリア人を "Tusci" と呼び、また "Etrusci" とも呼んだ)。ローマはエトルリア人を吸収し、トスカーナは本国の一部となった。

オドアケル西ローマ帝国を滅亡させた時代の後は東ゴート王国東ローマ帝国ロンゴバルド王国の支配を経た。ロンゴバルド王国がカール大帝に征服されると、後に神聖ローマ帝国となる彼の帝国の一部となり、トスカーナ辺境伯(イタリア語版、英語版)により統治された。

都市コムーネの時代になると、ピサ(1509年まで)や、シエナ(1555年まで)、フィレンツェが台頭し、最終的にはルッカを除くトスカーナの大部分はフィレンツェ共和国(後にトスカーナ大公国)に統治された。

ルネサンス時代はレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロ・ブオナローティラファエロ・サンティといったトスカーナ人が注目を浴びた。ローマを中心とするローマ教皇領と並び中心地の一つとなった。長くメディチ家の支配下にあったが、1737年にジャン・ガストーネ・デ・メディチが世継ぎを残さずに死ぬとハプスブルク家の支配下となった。ナポレオンの時代には、1801年から1807年までエトルリア王国が成立するが、ナポレオンが敗退するとハプスブルク家の下に戻った。1860年サルデーニャ王国に併合され、翌1861年にイタリア王国が成立するが、その後も旧トスカーナ大公家は同族であるオーストリア皇帝家の庇護の下、20世紀初頭までトスカーナの領有権を主張した。
経済・産業

主要な産業は農業で、ワインオリーブ小麦などを生産している。特にワインはキャンティやスーペル・トスカーナ(イタリア語版、ヘブライ語版)といった名品を生産する、世界屈指の名醸地である。

グロッセート県北部のフォッローニカスカルリーノガヴォッラーノマッサ・マリッティマモンティエーリモンテロトンド・マリッティモロッカストラーダの7つのコムーネは過去に亜鉛黄鉄鉱ミョウバン亜炭採掘業が盛んであり、「トスカーナ鉱山ユネスコ世界ジオパーク」に指定される[6]
行政区画トスカーナ州と各県

トスカーナ州は、以下の10県から構成される。

左端の数字はISTATコード、アルファベット2文字は県名略記号を示す。人口は2011年1月1日現在[2]。面積の単位はkm2。

県名綴り県都面積人口
045MSマッサ=カッラーラ県Massa-Carraraマッサ1,156203,901
046LUルッカ県Luccaルッカ1,773393,795
047PTピストイア県Pistoiaピストイア965293,061
048FIフィレンツェ県Firenzeフィレンツェ3,514998,098
049LIリヴォルノ県Livornoリヴォルノ1,211342,955
050PIピサ県Pisaピサ2,444417,782
051ARアレッツォ県Arezzoアレッツォ3,235349,651
052SIシエーナ県Sienaシエーナ3,821272,638
053GRグロッセート県Grossetoグロッセート4,504228,157
100POプラート県Pratoプラート365249,775

文化・観光
言語

2006年の国立統計研究所(ISTAT)の統計によれば、6歳以上の住民の家庭内での会話における言語状況は以下の通り[7]。イタリア語(Italiano)、地方言語(Dialetto)、他の言語(Altra lingua)についてのデータで、左列が全国平均、右列がトスカーナ州の数値である。標準イタリア語がトスカーナ方言をもとに創られていることもあり、「イタリア語のみ、あるいは主にイタリア語」を使用する割合がイタリアで最も高い。

家庭内の会話における使用言語全国州
イタリア語のみ、あるいは主にイタリア語45.5%83.9%
地方言語のみ、あるいは主に地方言語16.0%2.8%
イタリア語と地方言語の双方32.5%8.8%
他の言語5.1%4.0%

世界遺産サンミケーレ教会。ルッカ

多くの古都を擁するイタリア屈指の観光地である。州には以下のユネスコ世界遺産がある。

フィレンツェ歴史地区フィレンツェ県フィレンツェ

ピサのドゥオモ広場ピサ県ピサ

ピエンツァ市街の歴史地区 (シエーナ県ピエンツァ

サン・ジミニャーノ歴史地区 (シエーナ県サン・ジミニャーノ

シエーナ歴史地区 (シエーナ県シエーナ

ヴァル・ドルチャ (シエーナ県)

食文化

トスカーナ料理(イタリア語版)は「クッチーナ・ポーヴェラ」(イタリア語: Cucina povera)とも呼ばれる。日本語に直訳すると「貧しい料理」となり、基本的には庶民的な料理である[8]。地元で収穫できる野菜、豆を使い、肉類も良い部位ではなくスジ肉や内臓肉を使うことが多い[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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