トキ
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中国(2015年現在[22]

北京動物園トキ飼育センター

陝西トキ救護センター(洋県)

陝西楼観台トキ飼育センター

陝西寧陝県トキ野生復帰センター

河南省董寨自然保護区トキ飼育センター

浙江省徳清県トキ飼育繁殖基地

陝西省銅川トキ野生復帰センター

陝西省千陽トキ野生復帰センター


日本(2021年(令和3年)現在[19]
佐渡トキ保護センターの飼育展示個体、メスのさくら。



佐渡トキ保護センター

佐渡トキ野生復帰ステーション

多摩動物公園

いしかわ動物園 ※展示公開あり

出雲市トキ分散飼育センター

長岡市トキ分散飼育センター

佐渡市トキふれあいプラザ ※展示公開あり


韓国

牛浦トキ復元センター


形態

全長70 - 80センチメートル[5]。翼開長は約130センチメートル。顔は赤い皮膚が裸出する[4][5]。嘴は黒く、先端は赤い[4][5]。後頭には房状に羽毛(冠羽)が伸長する[4]。全身は白っぽいが、春から夏にかけての翼の下面は朱色がかった濃いピンク色をしており、日本ではこれを「朱鷺色」という。脚も頭と同様に朱色で、虹彩は橙色。幼鳥は全身灰色で、頭部が黄色である。

繁殖期は頸部の皮膚が内分泌により黒くなり、ここから剥がれ落ちた皮膚を上半身に塗り付けるため黒灰色になる[4][5]。水浴びなどの後にその擦り付けを行うため、水浴び直後は特に濃く、ほとんど黒に近い。

サギ類が飛翔時に首を折り曲げるのに対し、トキは首を伸ばしたまま飛ぶ。また、クロトキなどとは異なり、飛翔時に脚の先が尾羽から出ない。
独特な羽色の変化『啓蒙禽譜』(作者不詳、1830 - 1840年代頃)より。非繁殖期の白い姿とは別に、繁殖期の姿を「脊黒トキ」の名で描いている。

トキは繁殖期の前、1月下旬頃から粉末状の物質を分泌し、これを水浴びの後などに体に擦りつけ、自ら「繁殖羽」の黒色に着色する。着色は2月下旬から3月中旬頃に完了するが、こすり付ける行動は8月に入る頃まで続けられる。それをやめると、羽の色も次第に元の白色に戻る。このようなトキの羽色の変色方法は極めて珍しく、これまでに確認されていた羽色変化(換羽、磨耗、退色、脂肪分による着色など)のいずれとも異なる。この原理が解明されるのは20世紀も後半に入ってからのことであり、詳細については未だに分かっていないことも多い。

トキの羽色には白色のものと灰色のものがあること自体は、古くから知られていた。江戸時代後期の『啓蒙禽譜』では、「トキ」の横に「脊黒トキ」の名で繁殖期の背面が黒い姿を描いている。1835年テミンクによって学名が付されたが、その後1872年にデビットによって中国で見られた灰色のトキが別種の "Ibis sinensis" と命名されている。デビットはその5年後の1877年に、M・E・オウスタレとの共著の中で、オウスタレの見解に従って「灰色型」のトキは変種であるとし、"Ibis nippon var. sinensis" と改めたが、いずれにせよ19世紀後半から20世紀半ばまでは「白色型」と「灰色型」が存在するという見方が主流であった。1920年にはハータートにより、中国秦嶺や朝鮮半島、日本のトキが「白色型」で、ロシアのウスリー地方のトキが「灰色型」との学説が提唱され、ラ・タウチェ、黒田長礼、水野馨、山階芳麿なども同様の報告を出した。トキの羽色が変わるという説は、佐藤春雄が1957年に発表した仮説、内田康夫の1970年の研究などが発表されるに至って、ようやく学会から認められるようになった。実は1891年にM・ベレゾフスキーによって繁殖羽の変色であるという説が既に発表されていたが、それまでは注目されることもなかったようである。
分類テミンクシュレーゲルの『日本動物誌』に描かれているトキ。下に薄く "IBIS NIPPON" と記されている。

過去には繁殖期の灰色の個体が別種・変種とみなされたこともあったが、現在では亜種などはなく、日本・中国・朝鮮半島・ロシアのいずれのトキも完全に同一の種と考えられている。日本にいたトキと中国のトキのミトコンドリアDNAの差は 0.06% 程度であり、亜種と言えるほどではなく個体間の変異程度にとどまる[23][24]。トキのミトコンドリアDNAには今のところ5つの系統が確認されており[25]、日本で最後まで生き残っていたキン、ミドリ、アオ、アカ、フク、ノリはタイプ1[25][26]、中国で生き残っていたトキの子孫である友友、洋洋、美美はタイプ2である[26]。しかし日本にも以前はタイプ2の(現在飼育・放鳥されているものと同系統の)個体がいたこと、さらに別の系統の存在も判明している[26]

学名「ニッポニア・ニッポン」 "Nipponia nippon " の属名と種小名は共にローマ字表記の「日本」に由来するが、最初からそのように命名されたわけではない。シーボルト1828年オランダへ送った標本により、テミンク1835年 "Ibis nippon " と命名し、シュレーゲルも論文執筆の際にはそれを用いた。しかし1852年ライヒェンバッハが "Nipponia temmincki" と全く新しい学名を命名した。

学名の命名は先取権の原則により最初につけられた方が有効となるので、ライヒェンバッハの命名は種の名称としては無効だが、属の命名としては新属を提唱したと見なされうる。ライヒェンバッハの属名とテミンクの種小名をあわせた "Nipponia nippon " は、1871年グレイによって初めて用いられた。1922年には日本鳥学会の『日本鳥類目録』で採用されたこともあり、現在ではこの学名が一般に用いられるようになった。
生態
全般

トキ亜科の他種と同じくクチバシの触覚が発達しており、それを湿地田圃などの泥中に差し込み、ドジョウサワガニカエル昆虫などを捕食する。稀にだが、植物質のものを口にすることもある[27]。鳴き声は「ターア」「グァー」「カッ カッ」などカラスに似た濁った声で、小野蘭山の『本草綱目啓蒙』によると、群れて鳴くと非常にうるさかったようである。この鼻声のような鳴き声については、秋田県にある民話が伝わっている(後述)。サギは首を曲げて飛ぶが、トキの場合は、コウノトリツルと同様に首を伸ばしたまま飛ぶ。羽ばたき方はサギよりもやや小刻みで[27]、直線的に飛行する[27]

トキを特異的に宿主としているダニにトキウモウダニ (Compressalges nipponiae) がおり、日本におけるトキの野生絶滅とともに、環境省版レッドリストにて野生絶滅と評価されたのち[28]、中国由来のトキからは見つからず2020年(令和2年)4月に「絶滅」したことが研究発表された[29]。このダニも宿主同様1属1種であり、のレベルで独立した種であるという説もある。なお、このダニは吸血性ではなく、羽毛くずを餌とするようである[28]

成熟は2歳[5]であるが、初産齢は多くが3歳である[30]。寿命は、オスメスともに15歳頃とされる[30][注釈 4]

天敵は、テンカラス猛禽類とされる[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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