番組開始当初、東部標準時と中部標準時のエリアでのみ生中継で、毎朝3時間放送されていたがそれぞれで視聴できるのは2時間のみであった。1958年から遅延送出システムにより標準時が違うエリアでも同じ放送が視聴できるようになった。司会者デイヴ・ギャロウェイの健康問題により、1958年夏から生放送が中止になり、前日午後に収録され編集された録画番組が放送されるようになった。多方面からの批判を受け、1961年7月、司会がギャロウェイからジョン・チャンセラー
に交代された[5]。長年アラスカ、ハワイ、ヴァージン諸島を除く全域で午前7時から9時までの2時間番組として放送してきたが、2000年10月2日、3時間番組に拡大され、2007年9月10日、4時間番組にさらに拡大された。マサチューセッツ州ボストンのWHDH-TVなどいくつかのローカル局では3時間目と4時間目の放送は録画放送となった。
最初の3時間の放送では各時間の25分と55分から5分間、ローカル局のニュースが挿入され、その間NBCで放送される内容はローカルでは見ることができない。
一般的に東部標準時では生放送となるが、その他のエリアでは午前7時からの録画放送となる。ニュース速報が入った場合は東海岸版が生放送され、速報が終われば西海岸の録画放送に戻る。番組視聴者は太平洋標準時であることおよび録画放送されることに留意する。番組放送時間帯に特別報道番組が入った場合、『トゥデイ』のアンカーが番組を進行する。 『トゥデイ』は当初、現在のスタジオ近くのクリスティーズのオークション・ハウスのある49番通りのRCAエキシビション・ホールから放送されていた。最初のセットはギャロウェイが「世界の中枢」と呼んだ、セットと舞台裏を隔てる壁のない機能的なニュースルームであり、ギャロウェイやスタッフ達はセットと舞台裏を行き来することもあった。カメラ・クルーや技術士が画面に映ったり、画面外でギャロウェイが会話する声なども聞こえた。次第に機械やスタッフはニュースや天気予報を取りまとめるために舞台裏に配置され、1955年までにニュースルームはなくなった。 当時NBCはRCAに所有されていたのだが、1958年夏、番組制作会社のフィルコは『トゥデイ』の常設スタジオがRCAエキシビション・ホールにあることは不当であると批判した。1958年7月7日、圧力に屈して『トゥデイ』は向かいのRCAビルディングのスタジオ3Kに移動し、1960年代初頭までここから放送し続けた。 1962年7月9日、当時フロリダ・ショウケースの敷地であった道沿いの敷地をスタジオとした。『トゥデイ』製作陣は毎日フロリダ・ショウケースの旅行関連商品を移動させ、セット、机、椅子、カメラを運び入れなくてはならなかった。東部標準時の午前9時に撮影が終わると、セットを片付けて商品を戻していた。 フロリダ・ショウケースで3年ほど撮影を続け、1965年9月13日、RCAビルディングに戻った。この頃からニュース番組はカラー放送となっていったが、NBCはカラー・カメラが高価なため、4台揃えることができなかった。 次の20年間、『トゥデイ』はNBC本社ビルで1970年代にはスタジオ3K、1970年代後期と1980年代初頭にはスタジオ8G(『サタデー・ナイト・ライブ』が使用していたスタジオ8Gの隣)、1983年から1994年にはスタジオ3Bなど3階、6階、8階を使用していた。1994年6月20日、現在の道沿いのスタジオに移動した。 1990年代のセットで撮影し始めると、FOXニュースの『Fox & Friends
スタジオ
2006年、1080i高精細度テレビジョン放送の準備ため大幅な改築を行なうこととなった。ケイティ・クーリック降板後の2006年夏の新しいセットの準備中、2004年からオリンピックの放送に使用されているロックフェラー・プラザの臨時屋外スタジオから放送していた[6]。2006年8月28日の週、屋外スタジオの場所がMTV Video Music Awardsのレッド・カーペット・ブースとなるため、スタジオ1Aの外側に臨時に移動した。この臨時のスタジオは『デイトライン』でも悪天候の場合にも使用された。この番組は30ロックフェラー・プラザの臨時屋外セットおよび、2007年10月22日よりMSNBCの『カウントダウン・ウィズ・キース・オルバーマン』が使用している30ロックフェラー・プラザのスタジオ1Aも使用していた。
2006年9月13日、改修されたスタジオ1Aに移動した。この新たなスタジオはインタビュー・エリア、カウチ・エリア、ニュース・デスク、多目的エリア、ホームの5箇所に分けられた。