しかし、トゥグルク・ティムールの改宗後ただちに、モグーリスタンがイスラム国家化した訳ではなかった[10]。東トルキスタンの仏教徒社会に急激な変化は起きず、仏教寺院は免税特権を与えられていた[11]。宮廷内も西チャガタイ・ハン国ほどのトルコ化は進んでおらず、モンゴル語が公用語の地位を保っていた[12]。
脚注^ a b c 濱田「モグール・ウルスから新疆へ 東トルキスタンと明清王朝」『東アジア・ 東南アジア伝統社会の形成』、98頁
^ a b c d e 佐口「トゥグルク・ティームール」『アジア歴史事典』7巻収録
^ 加藤『ティームール朝成立史の研究』、150頁
^ a b 加藤『ティームール朝成立史の研究』、151頁
^ 加藤『ティームール朝成立史の研究』、151-152頁
^ 川口『ティムール帝国支配層の研究』、234頁
^ 川口『ティムール帝国支配層の研究』、115頁
^ 杉山、北川『大モンゴルの時代』、359頁
^ 杉山、北川『大モンゴルの時代』、359-360頁
^ 杉山、北川『大モンゴルの時代』、360頁
^ 濱田「モグール・ウルスから新疆へ 東トルキスタンと明清王朝」『東アジア・ 東南アジア伝統社会の形成』、98-99頁
^ 濱田「モグール・ウルスから新疆へ 東トルキスタンと明清王朝」『東アジア・ 東南アジア伝統社会の形成』、99頁
参考文献
佐口透「トゥグルク・ティームール」『アジア歴史事典』7巻収録(平凡社, 1959年)
杉山正明、北川誠一『大モンゴルの時代』(世界の歴史9, 中央公論社, 1997年8月)
濱田正美「モグール・ウルスから新疆へ 東トルキスタンと明清王朝」『東アジア・ 東南アジア伝統社会の形成』収録(岩波講座13, 岩波書店, 1998年8月)
加藤和秀『ティームール朝成立史の研究』(北海道大学図書刊行会, 1999年2月)
川口琢司『ティムール帝国支配層の研究』(北海道大学出版会.2007年4月)
先代
-モグーリスタン・ハン国のハン
1347年 - 1363年次代
イリヤース・ホージャ