デーモン・アルバーン
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2009年にはグラストンベリー・フェスティバルハイド・パークでブラーの復活ライブを行い、復活を待ちわびたオーディエンスを熱狂と感動の渦に巻き込んだ。
2010年代

2010年にはゴリラズのアルバム『プラスティック・ビーチ』をリリースし、世界規模のツアーも敢行した。同年12月、ツアー終了と同時に、ツアー中の隙間時間にipadで製作したというアルバム『ザ・フォール』をリリースした。

2011年は、オックスファム企画のコンゴ民主共和国救済のためのチャリティアルバム、『キンシャサ・ワン・ツー』を他のミュージシャンとコンゴで1週間でレコーディングしてリリースしたり、長年温めてきた企画であったエリザベス朝時代の魔術師・錬金術師、ジョン・ディーを題材にしたオペラ『ドクター・ディー』の制作を主に音楽面で担当。デーモンも本人役で出演し、翌2012年にはオペラの音楽をもとに同名のアルバム『ドクター・ディー』を、スタジオ・アルバムとしては初めてデーモンのソロ名義でリリースした。また同2012年は、レッド・ホット・チリ・ペッパーズフリートニー・アレンと新バンド、ロケット・ジュース・アンド・ザ・ムーンを結成してアルバムを発表した他、ソウル・シンガー、ボビー・ウーマックの18年ぶりのスタジオ・アルバム、『ザ・ブレイヴェスト・マン・イン・ザ・ユニヴァース』の共同プロデューサーを務め、高い評価を得た。2013年はブラーのワールド・ツアーをこなす傍らソロ・アルバムを制作。『エヴリデイ・ロボッツ』と題された同アルバムは2014年4月に発売され、同年のマーキュリー賞のアルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた。

2014年11月ごろから、前述のワールド・ツアー中に香港で録音していた音源を基にブラーのアルバム制作を始め、2015年4月、ブラー再結成後初となる12年ぶりのスタジオ・アルバム、『ザ・マジック・ウィップ』をリリースした。また、同年7月にマンチェスター国際芸術祭で上演された「不思議の国のアリス」を基にしたミュージカル、「ワンダー・ドット・ランド」の音楽制作を担当した。

『マジック・ウィップ』のワールドツアー後はアルバム制作に専念し、2017年4月にゴリラズの5枚目となるアルバム『ヒューマンズ』をリリース。翌2018年6月には6枚目のアルバム『ザ・ナウ・ナウ』をリリースした。同年6月に来日公演を果たし、リリース前の『ザ・ナウ・ナウ』収録曲を初めて全曲披露した。同年10月には11年ぶりに、かつてのアルバム『ザ・グッド,ザ・バッド・アンド・ザ・クイーン』のメンバーによる新アルバム『メリーランド』をリリース(同バンドは2019年限りで解散)。同2018年7月には「アフリカ・エクスプレス」の南アフリカでの7日間のアルバム制作に参加し、翌2019年7月にアルバム『エゴリ』として発表された。
2020年代、現在

2020年1月から、ゴリラズの新曲を不定期に1曲づつ発表していく「ソング・マシーン」プロジェクトを開始。10月にはそれらをまとめたゴリラズ7枚目のアルバム『ソング・マシーン、シーズン1:ストレンジタイムズ』としてリリースされた。5月には、アイスランドの自然にインスピレーションを得て始められたという新プロジェクト「ザ・ニアラー・ザ・ファウンテン、モア・ピュア・ザ・ストリーム・フローズ」からの曲を、アイスランドに所有する自身のスタジオからライブ配信した。同じく10月にはパリで、フランス植民地下のアフリカ奴隷の歴史を題材にしたミュージカル、「ル・ヴォル・デュ・ボリ」の音楽制作を担当。新型肺炎の感染が広がっていたため公演は延期された上、上演回数も減らされた。興行は経済的にも打撃を被ったがなんとか開演にこぎつけ、デーモンも演奏者としてステージに上がった。

アイスランドのプロジェクトはフルアルバムのプロジェクトへと昇格し、2021年11月にプロジェクトと同名のアルバム『ザ・ニアラー・ザ・ファウンテン、モア・ピュア・ザ・ストリーム・フローズ』としてリリースされた。翌2022年はゴリラズのワールドツアーとして南米やヨーロッパ、オーストラリアや北米などを回り、2023年2月にゴリラズの8枚目のアルバム『クラッカー・アイランド』をリリース。ゴリラズのアルバムとしては『ディーモン・デイズ』以来18年ぶりとなる全英1位を獲得した。

またゴリラズのツアーで滞在していたホテルで書き溜めていたデモを元にレコーディングされたブラーの8年ぶり9枚目のアルバム『ザ・バラード・オブ・ダレン』を2023年7月にリリースし、ブラーとして7作連続となる全英1位を獲得した。これによりデーモンは、作曲を手掛けフロントマンを務める2つのバンド(グループ)で、同一年内に全英1位をそれぞれ獲得するという快挙を成し遂げた。
音楽性、歌唱・演奏スタイル

10代前半まではエリック・サティレイフ・ヴォーン・ウィリアムズブレヒトヴァイルの『三文オペラ』などのクラシック音楽を好んでいたというが、中高等学生時代以降はヒューマン・リーグザ・クラッシュザ・スミスなどに熱中し、ビートルズキンクスなどを始めとするブリティッシュビート以降のイギリスのロック・ミュージックを徹底的に研究したという。近年は、ヒップホップからエレクトロニカ民族音楽現代音楽に至るまで、ジャンルの枠を大きく超えた音楽を研究し、実験精神溢れる楽曲を精力的に発表し続けている。またバンド・キャリアの前半まではあまりプロデュース業には積極的ではなかったが、近年は研鑽を積み、積極的にこなすようになっている。

歌声はバンド・キャリア前半までは男性にしては高く、曲調に合わせてどこかおちゃらけた印象のある声だったが、1999年のブラーのアルバム『13』のリードトラック「テンダー」では、かなり低い歌声やファルセットも使いこなすようになるなど、近年は味わい深い歌声も披露するようになっている。ボーカルのほかにキーボードやギターを担当し、左利きであるがギターは右利き持ちで弾いている。ライブではステージ上を駆け回ったり飛び跳ねたり、時折観客にダイブするなどグレアムと同じく派手なアクションを見せている。
その他

1990年代末頃より、現代アーティストのスージー・ウィンスタンリーとパートナーとなり、1999年に長女が産まれた。

2003年にハイド・パークで行われた反イラク戦争のデモに関わるなど、政治的な行動も積極的に行っている。


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