ゼロ年代後半には、テレビアニメ『らき☆すた』のヒットをきっかけとして、物語性を後退させて「萌え」にアピールしたキャラクターの魅力で強度を保つ作品が台頭しているが、俗に日常系といわれるこれらの作品群はデータベース消費モデルに非常に適した形態のコンテンツといえる[27]。
2010年代になると同年台代にヒットしたなろう系作品で行われていることが該当すると言及され、野間口修二はなろう系テンプレートストーリーは東のいう見えないデータベースの一部ともいえ、なろう系データベースとも呼べる見えないきちんとした形のないDBにアクセス、設定を取捨選択することで作品作りしているとみている[28]。
現代美術の世界では、村上隆やカオス*ラウンジなどオタク文化の要素を作品に取り入れる例がみられる。村上隆の作品は現代美術界で高く評価されながらもオタクからは酷評されることも多いという極端な状況になっているが、東はこれをデータベース(深層)/シミュラークル(表層)についての考え方の違いに起点していると説明している[29]。つまり、村上はオタク文化に特徴的な意匠(シミュラークル)を純粋化して作品に取り込むという手法を用いているが、これはシミュラークルの生産を「前衛を構成するための武器」として肯定的に捉える現代美術批評では高く評価されるが、萌え要素のデータベースを前提とした消費に適応したオタクからはその重要なデータベースの部分が欠落しているために理解されないのだという。現代美術集団のカオス*ラウンジは既存のキャラクターを用いた二次創作的な表現を多用しているが、その批評性を担保するための理論背景として東のキャラ萌え/データベース消費の理論が援用されているといえる[30]。 東は、オタク文化外でも、1990年代に社会学者の宮台真司がフィールドワーク的な研究の対象としたブルセラ少女・援交少女たちの行動様式も物語消費からデータベース消費への移行の道を辿っているとしている[31]。宮台真司がストリート系の若者に見出した「共振的(シンクロナル)コミュニケーション」と、オタクの動物化現象の類似性も指摘されている[32]。 ヒップホップ・テクノポップなどの音楽分野におけるサンプリングやリミックスといった技法はデータベース消費モデルと関連付けて論じられることがある。DJは原曲を構成する音楽的要素を素材として収集・再構成して二次的な創作を行うが、これはオタクが行う同人誌発行などの二次創作と概ね同型と考えられ、萌え要素という視覚的な記号に反応するオタクと単調な電子音の反復に快感を覚えるテクノ愛好家が「アニメ絵目」と「テクノ耳」という形で対比されることもある[33]。ただし、音楽論
オタク文化外
絵本作家の相原博之は、データベース消費の例としてiPod・ブログ・セレクトショップの3つを挙げている[37]。アルバムに収録された状態では楽曲はそのアルバムの世界観という統一性の中に存在しているが、個別にiPodにダウンロードされ再編集されて鑑賞されるときにはその統一性(大きな物語)は崩れることになる。同様に、ブログにおいては従来のウェブサイトでみられる階層構造という大きな物語が欠如したフラットな構造となっており、セレクトショップではブランドという統一性(大きな物語)を無視して商品が陳列・販売されていると考えられる。インターネット上での事例としては、ブログ以外にも電子掲示板2ちゃんねるで行われるような「ネタ的コミュニケーション」[注 6] も、コピペ・アスキーアートなどをデータベースの構成要素とみなすという意味でデータベース消費と類似した現象であるといわれる[38]。
メディア論や社会学を専門とする岡井崇之は、東浩紀の議論を参照して、プロレスファンは物語消費的だが総合格闘技ファンはデータベース消費的であるという対比を行っている[39]。