データベース消費
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日本の漫画アニメなどでは、漫画評論家の伊藤剛が指摘するように[25]、ある作品中のキャラクターが(例えば二次創作によって)その物語を離れて異なる環境におかれてもなおその強度を保つというキャラクターの自律化[注 4] ともいうべき現象が起こっており、物語そのものではなく「キャラクターのデータベース」が消費の対象となっている面がある。ゼロ年代初頭から注目されるようになったライトノベルにはSFファンタジー推理小説など様々なジャンルが存在し、しばしば定義が困難であるとされるが、そこで「キャラクターを立てる」ことが創作の上での重要な課題となっていることに注目すれば、データベース消費というキーワードを使って「キャラクターのデータベースを環境として書かれる小説」と定義できる[26]

ゼロ年代後半には、テレビアニメ『らき☆すた』のヒットをきっかけとして、物語性を後退させて「萌え」にアピールしたキャラクターの魅力で強度を保つ作品が台頭しているが、俗に日常系といわれるこれらの作品群はデータベース消費モデルに非常に適した形態のコンテンツといえる[27]

2010年代になると同年台代にヒットしたなろう系作品で行われていることが該当すると言及され、野間口修二はなろう系テンプレートストーリーは東のいう見えないデータベースの一部ともいえ、なろう系データベースとも呼べる見えないきちんとした形のないDBにアクセス、設定を取捨選択することで作品作りしているとみている[28]

現代美術の世界では、村上隆カオス*ラウンジなどオタク文化の要素を作品に取り入れる例がみられる。村上隆の作品は現代美術界で高く評価されながらもオタクからは酷評されることも多いという極端な状況になっているが、東はこれをデータベース(深層)/シミュラークル(表層)についての考え方の違いに起点していると説明している[29]。つまり、村上はオタク文化に特徴的な意匠(シミュラークル)を純粋化して作品に取り込むという手法を用いているが、これはシミュラークルの生産を「前衛を構成するための武器」として肯定的に捉える現代美術批評では高く評価されるが、萌え要素のデータベースを前提とした消費に適応したオタクからはその重要なデータベースの部分が欠落しているために理解されないのだという。現代美術集団のカオス*ラウンジは既存のキャラクターを用いた二次創作的な表現を多用しているが、その批評性を担保するための理論背景として東のキャラ萌え/データベース消費の理論が援用されているといえる[30]
オタク文化外

東は、オタク文化外でも、1990年代に社会学者宮台真司フィールドワーク的な研究の対象としたブルセラ少女・援交少女たちの行動様式も物語消費からデータベース消費への移行の道を辿っているとしている[31]。宮台真司がストリート系の若者に見出した「共振的(シンクロナル)コミュニケーション」と、オタクの動物化現象の類似性も指摘されている[32]

ヒップホップテクノポップなどの音楽分野におけるサンプリングリミックスといった技法はデータベース消費モデルと関連付けて論じられることがある。DJは原曲を構成する音楽的要素を素材として収集・再構成して二次的な創作を行うが、これはオタクが行う同人誌発行などの二次創作と概ね同型と考えられ、萌え要素という視覚的な記号に反応するオタクと単調な電子音の反復に快感を覚えるテクノ愛好家が「アニメ絵目」と「テクノ耳」という形で対比されることもある[33]。ただし、音楽論・メディア論を専門とする増田聡は、これらの文化のデータベース的な消費には2つの面での差異が存在すると指摘している[34]。まず1点目として、オタク文化においては前述のキャラクターの自律性が二次創作活動の前提として存在するが、DJ文化においてキャラクターに対応する音楽要素が原曲という環境から遊離して自律しそれ単体で消費されるということはまずない。2点目として、DJ文化において音楽要素の再構成は表層的なレベル(データの機械的コピー)で行われるが、オタク文化における二次創作活動はしばしば元の作品では必ずしも設定されていなかったキャラクターの性格設定などが消費者の主観によって新たに「創造」されている[注 5]という相違が挙げられる。このほか、1990年代のDJ文化では楽曲の時代性を考慮して選曲が行われるなど時間的な文脈依存性の高い引用という側面があるため、東浩紀がオタク文化を中心に論じたデータベース消費とは一線を画するという見方もある[36]

絵本作家相原博之は、データベース消費の例としてiPodブログセレクトショップの3つを挙げている[37]。アルバムに収録された状態では楽曲はそのアルバムの世界観という統一性の中に存在しているが、個別にiPodにダウンロードされ再編集されて鑑賞されるときにはその統一性(大きな物語)は崩れることになる。同様に、ブログにおいては従来のウェブサイトでみられる階層構造という大きな物語が欠如したフラットな構造となっており、セレクトショップではブランドという統一性(大きな物語)を無視して商品が陳列・販売されていると考えられる。インターネット上での事例としては、ブログ以外にも電子掲示板2ちゃんねるで行われるような「ネタ的コミュニケーション」[注 6] も、コピペアスキーアートなどをデータベースの構成要素とみなすという意味でデータベース消費と類似した現象であるといわれる[38]

メディア論社会学を専門とする岡井崇之は、東浩紀の議論を参照して、プロレスファンは物語消費的だが総合格闘技ファンはデータベース消費的であるという対比を行っている[39]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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