デヴィッド・T・フレンドリー
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1978年にノースウェスタン大学を卒業後にジャーナリストとなり、『ニューズウィーク』誌のスタッフライターとなった[1]。1985年に『ロサンゼルス・タイムズ』へと移ると映画産業関係のコラムを執筆するようになり[2]、1987年にはイマジン・エンターテインメントの設立者のブライアン・グレイザーロン・ハワードの誘いで同社の映画部門の副社長となった[1]。同社では『マイ・ガール』、『マイ・ガール2』、『バラ色の選択』、『遺産相続は命がけ!?』、『チェンバー/凍った絆』で製作総指揮を務めた。1994年にはデイヴィス・エンターテインメント(英語版)の社長に就任し、同社で『デイライト』、『ウィズ・ユー』を製作した。また自らの製作会社であるフレンドリー・プロダクションズを立ち上げ、『愛ここにありて』を製作した[1]。2000年9月にはマーク・タートルトーブと共同でディープ・リヴァー・プロダクションズを立ち上げた[3]

2006年にはタートルトーブらと共同でプロデューサーを務めた『リトル・ミス・サンシャイン』が公開され、アカデミー賞英国アカデミー賞インディペンデント・スピリット賞全米製作者組合賞などにノミネートされた[4][5]
私生活

妻は編集技師プリシラ・ネッド・フレンドリーである[1]。同じくプロデューサーのアンディ・フレンドリーとは兄弟である[4]。父は1964年から1966年までCBSニュースの社長を務めていたフレッド・W・フレンドリー(英語版)である[2]
フィルモグラフィ

マイ・ガール My Girl (1991) 製作総指揮

バラ色の選択 For Love or Money (1993) 製作総指揮

マイ・ガール2 My Girl 2 (1994) 製作総指揮

遺産相続は命がけ!? Greedy (1994) 製作総指揮

戦火の勇気 Courage Under Fire (1996) 製作

チェンバー/凍った絆 The Chamber (1996) 製作総指揮

デイライト Daylight (1996) 製作

ウィズ・ユー Digging to China (1997) 製作総指揮

カリブは最高! Out to Sea (1997) 製作

ドクター・ドリトル Doctor Dolittle (1998) 製作

愛ここにありて Here on Earth (2000) 製作

ビッグママ・ハウス Big Momma's House (2000) 製作

ビッグ・トラブル in NY(英語版) The Honeymooners (2005) 製作

リトル・ミス・サンシャイン Little Miss Sunshine (2006) 製作

ビッグママ・ハウス2 Big Momma's House 2 (2006) 製作

デイブは宇宙船 Meet Dave (2008) 製作

ソウルメン(英語版) Soul Men (2008) 製作

ビッグママ・ハウス3 Big Mommas: Like Father, Like Son (2011) 製作

参考文献^ a b c d “Board of Directors: David Friendly ? Advisory Board”. US-Ireland Alliance. 2007年10月7日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2008年8月8日閲覧。
^ a b Haggerty, Ryan (2007年12月7日). “ ⇒The Producer”. Northwestern University. 2008年8月8日閲覧。


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