デヴィッド・リーン
[Wikipedia|▼Menu]
戦前からチャップリンと並んで国際的に有名だった日本人俳優早川雪洲や、イギリスを代表する俳優アレック・ギネスハリウッドでも指折りのスター俳優ウィリアム・ホールデンなど、世界各国から豪華キャストが集結した本作は、ビルマの奥地であるジャングルでの撮影など過酷を極めたものだったが、公開されると大ヒットし、その年の全世界年間興行成績で1位を記録する。また、第30回アカデミー賞では作品賞を含む7部門を受賞し、リーンも監督賞を初受賞した。

『戦場にかける橋』の成功により、リーンは更なる大作『アラビアのロレンス』(1962年)を再びスピーゲルとのタッグで制作する。ピーター・オトゥールオマー・シャリフのデビュー作ともなった本作は、1962年度の全世界年間興行成績では前作に続いて1位を記録し、前作を上回る大ヒットを収めた。第35回アカデミー賞では7部門を受賞し、2度目のアカデミー作品賞、自身も2度目となるアカデミー監督賞を受賞した。

1965年、ソ連の作家ボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジバゴ』を前作にも出演したオマー・シャリフ主演で映画化。イタリア人大物映画プロデューサーであるカルロ・ポンティMGMに持ち込んだ企画であった本作は、前作の大作2本で大成功を収めていたリーンの監督就任により実現した。公開当時、批評家の間では評価が割れたが、MGMの宣伝効果もあって興行的には1億ドルを超える成績を叩き出し、劇中に登場したヘアスタイルやファッションまでもが流行した。第38回アカデミー賞では『サウンド・オブ・ミュージック』という強敵のために作品賞と監督賞は逃したものの、ボルトの脚色賞を含む5部門を受賞。

寡作ではあったものの、これらの3作品はリーンの監督としての名声を絶大なものとした。また、これらの3作品すべてで、リーンはアレック・ギネスを起用。オマー・シャリフ曰く、リーンにとっての成功の御守りだったという。
晩年

1970年、『ライアンの娘』が公開されるが、前作以上の興行収入を得られず、批評家からも厳しい批判を受ける結果に終わる。特にポーリン・ケイルからの批判は厳しく、それが原因で14年間もメガホンを取ることを諦めていたという。

そして14年の月日を経た後、1984年に遺作となる『インドへの道』が公開。本作では脚本、編集も担当し、監督としての健在ぶりを見せつけて復活を遂げる。1980年代中頃、師弟関係にあったスティーヴン・スピルバーグ製作で『太陽の帝国』を監督しようとしたが、最終的にはスピルバーグ自らがメガホンを取った。その後、コンラッドの『ノストロモ』の映画化を企画していたが、1991年、病に倒れて83歳で死去した。

KBE叙勲者。
次世代への影響

リーンの作風はスティーヴン・スピルバーグや、マーティン・スコセッシなど次世代の映画監督に多大な影響を与えた。

特にスピルバーグは高校生の頃に『アラビアのロレンス』を見たことで映画監督を目指すことを決心したと語っており、彼を偉大なる師として尊敬していた。リーンの自然主義的な作風はスピルバーグに大いに受け継がれており、『アラビアのロレンス』『戦場に架ける橋』『ドクトル・ジバゴ』は撮影前に必ず見直す作品だと語っている。

また、クリストファー・ノーランは『ダークナイト』の撮影でIMAXカメラを使用した際、「デヴィッド・リーンが砂漠の中で65mmのカメラを抱えられたなら、僕たちにこれが使いこなせないわけはない」と語っている。
その他

1963年(昭和38年)2月1966年(昭和41年)9月に来日している。

監督作品アラビアのロレンス』(1962年)

軍旗の下に In Which We Serve (1942)

幸福なる種族 This Happy Breed (1944)

逢びき Brief Encounter (1945)

陽気な幽霊 Blithe Spirit (1945)

大いなる遺産 Great Expectations (1946)

オリヴァ・ツイスト Oliver Twist (1948)

情熱の友 The Passionate Friends (1948)

マデリーン 愛の旅路 Madeleine (1950)

超音ジェット機 The Sound Barrier (1952)

ホブスンの婿選び Hobson's Choice (1954)

旅情 Summertime (1955)

戦場にかける橋 The Bridge on the River Kwai (1957)

アラビアのロレンス Lawrence of Arabia (1962)

ドクトル・ジバゴ Doctor Zhivago (1965)

ライアンの娘 Ryan's Daughter (1970)

Lost and Found: The Story of Cook's Anchor (1979)

インドへの道 A Passage to India (1984)

日本のテレビ番組出演

スター千一夜(フジテレビ)- 1963年2月19日


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:97 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef