同年、プラスチック製のアルト・サックスを卒業して、本物の楽器を扱うようになり、彼にとっての最初のバンド「コンラッズ(Konrads)」を結成した。このバンドではギターかベースを担当し、主な演奏場所は若者の集まりか、あるいは結婚式であった。バンドのメンバーは概ね4人から8人の間で、その中にはガールフレンドを取り合ったアンダーウッドも居た[16]。
1964年6月5日に「ディヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・キング・ビーズ(Davie Jones with The King Bees)」名義で最初のシングル「リザ・ジェーン(Liza Jane)」を発表[17]。しばらくはヒットに恵まれず、「ザ・マニッシュ・ボーイズ(The Manish Boys)」「ディヴィー・ジョーンズ・アンド・ザ・ロウアー・サード(Davy Jones & The Lower 3rd)」[18]などと名を変えたが、モンキーズのボーカリストであるデイビー・ジョーンズと紛らわしいことから[19]、1966年4月のシングル「Do Anything You Say」から使い始めた「デヴィッド・ボウイ」が芸名として定着することになる。このボウイの名前は19世紀に活躍したアメリカの開拓者であるジェームズ・ボウイと、彼が愛用していたナイフであるボウイ・ナイフから取られた[20]。デビュー当時のボウイ (1967年9月)
1967年6月、デビューアルバム『デヴィッド・ボウイ』を発表。アルバム製作中にチベット仏教に傾倒し、チベット難民救済活動を行うチベット・ソサエティに参加している。同年9月に短編映画『イメージ(英語版)』(1969年、イギリス)[21]に出演が決定し、その撮影の際にリンゼイ・ケンプと出会っている。ボウイはロンドン・ダンス・センター(英語版)でのケンプのダンス・クラスに習い、ケンプの下でコンメディア・デッラルテなどから学んだアバンギャルドとパントマイムによってドラマティックな表現を身につけた。
1969年、前年に公開された映画『2001年宇宙の旅』をモチーフにして、アルバム『スペイス・オディティ[注 1]』を制作。アポロ11号の月面着陸に合わせて、その直前にシングル「スペイス・オディティ」をリリースした。
グラム・ロック時代[ソースを編集]グラムロック時代
1970年、ミック・ロンソンをサウンド面での盟友に迎え『世界を売った男』をリリース。歌詞に哲学・美学の要素が含まれるようになり、1971年のアルバム『ハンキー・ドリー』でその路線は更に深まり、歌詞にも哲学・美学の要素が強く表れるようになった。
ミック・ロンソンが後に加入することになるグラムロックバンドのモット・ザ・フープルは1972年3月、解散危機に直面し、ボウイはモット・ザ・フープルに「すべての若き野郎ども」を提供、同バンドの楽曲として大ヒットした。
1972年6月、コンセプト・アルバム『ジギー・スターダスト』をリリース。コンセプトに基づいて架空のロックスター「ジギー・スターダスト(Ziggy Stardust)」を名乗り、そのバックバンドである「スパイダーズ・フロム・マーズ(The Spiders from Mars)」を従え、世界を股に掛けた1年半もの長いツアーを組んだ。初期はアルバムの設定に従ったものだったが、徐々に奇抜な衣装(山本寛斎の衣装も多く取り上げている)、奇抜なメイクへと変貌していった。